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辰之進 様コメント:
室町幕府の13代将軍義輝は、初代兼定の名刀を一振、所有しておりました。彼は剣豪将軍としても知られ、名刀のコレクターとしても有名でした。
その彼が、夜半、旅に出るためしばしの暇を告げにきた上泉信綱に『師よ、あの池に映る月を二つに切ることが出来れば、剣の道も素晴らしい事よのう』と言ったらしいのです。すると信綱は、『お安いことでござるよ』とスッと立ち上がり義輝の拝刀(兼定)を小姓から受け取り、池に浮かぶ月を見事にまっ二つに切り、しかもその水面に映る月は、しばらくの間二つに割れたままだったそうです。そんなことがあって、信綱の名声はさらに上がり、その兼定は、『水月切り兼定』と呼ばれるようになりました。
その後、義輝惨殺をへて、松永久秀の所有となった後、広島の浅野本家の所有となりましたが、赤穂事件の際、巻き添えをおそれた浅野本家から、柳沢吉保に献上され、そこで吉保の手によって現在の拵にされました。その時以来、拵の形容からこの兼定は、『水月切り螳螂兼定』と呼ばれるようになりました。
吉保没後、いろいろな経過の後、この兼定は田沼家の所有となりましたが、我が先祖が田沼家の「ある出来事」に係わり、その褒美として田沼より下され、現在まで我が家に伝わっております。
田沼家の「ある出来事」というのは、当家の秘中の秘であり、こればかりは公にできません。
な〜んちゃって!全部辰之進のウソでした(笑)。
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