其ノ一 「欠点について」


 古武術を稽古しておりますと、人間の身体とは、「かくも思い通りに動いてくれないものか・・・」と改めて気づかされる事が多くなります。特に私のように、身体能力に恵まれた訳でもなく、剣才がある訳でも無いものにとっては、一段と思い知らされる事です。しかしながら、稽古をして参りますと、僅かばかりですが、何とか自分なりの上達を感じる事が出来ますと、これはこれで非常に喜ばしい事で、これを持ってして、更にのめり込んでいってしまう訳です。

 以前、インターネットを通じてお知り合いになりました某流派の方とBBSでお話致しました時に、その方も仰っておられましたが、稽古を進めて参ります段階で、形が要求します身体の動きには、時にどこまでの質を要求しているのか、大変畏怖を感じる事が御座います。形に込められた理合を汲み出す為に求められる身体運用の数々には、いつも悩まされるばかりです。ただ、救われると思う瞬間は、その欠点が自ずと分かった瞬間です。この時ばかりは、この「欠点」を克服する為の「課題」を自身に課す事が出来ますので、その後の僅かばかりの上達を感じる事も出来る訳です。(例え、その過程が困難だったとしても・・・)
 例えば、腕の上げ方一つとりましても、形の求める軌道というものは一つですので、これを少々でも外れれば意味のないもの、形(カタチ)だけを真似たものに成り下がり、そこには何の術理も生まれません。これは、「形」というものが伝えようとする「術」の繊細度を意味し、その動きの中で得た「動きのバランス」
を会得する為の行為が形しかない事に他なりません。しかし、自身の両腕がどう外れているのか、どこで外れるのか、それは立体的なものなのか、平面的なものなのか、非常に気づきづらい事が多く、これを気づけただけでも、原因を追及する作業、克服する作業を「課題」として、稽古出来、その後の上達が約束されたようなもの・・・と、個人的には考えております。

 「欠点の数だけ、自身の上達が望める」

 私の古武術を稽古する喜びは、この一点にあるといっても過言ではありません。
 ただ、人間のもう一つ困った欠点に・・・或いは、私だけの問題かもしれませんが・・・「以前に出来た事が出来なくなる」という事があります。例えば、上記の「腕の上げ方」についても、一端克服し、稽古の段階が進んだ後、再び「悪さ」をする事がございます。その時は、左腕が・・・本当に僅かなのですが・・・左外に外れてしまい、それによって、その後の振り下ろしへも当然影響致しますし、その崩れは足捌きにまで及びました。しかし、この「僅かな悪さ」が為に、なかなか発見出来ず、その克服には苦労致しました。「欠点」という意味では、こちらの方が厄介かもしれません。
 とにもかくにも、「芸道を志す」という事は、実に大変な事だと身に染みる思いです。しかし、自身の身体が何らかの変化を起こす事に喜びを感じられる事こそ、古武術の醍醐味と、稽古をする事に幸せを感じる次第です。


 


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