其ノ十五 「山城伝」


 久々の雑感更新です。今回から暫くは少々主旨を変えまして、「古刀五ヶ伝(ことうごかでん)」について記したいと思います。今回は、そのうちの「山城伝(やましろでん)」です。

 「古刀五ヶ伝」を簡単に記したいと思います。日本刀の発生は古く、平安末期には既に、反りのついた刀が高度な技術で発達しておりました。この平安末期より始まります「日本刀」は、その後の「慶長時代」以前を特に「古刀期」と呼びます。
 何故ここを境に分類されるかと申しますと、慶長から始まります「新刀期」の御刀は、当時の時代背景、つまり、天下平定により、今までの有力な豪族や大名が納める領地のみが発展するのではなく、全国各地に大名が封じられて、それぞれの土地で城下町が新たに形成・発展を遂げていきました。それに伴いまして、各地で産業が興り、交通路や手段の発達によって、砂鉄の取れない土地柄でも、良質の鉄が各地に行き渡るようになり、その結果、刀工も各地に移住し鍛刀を開始致しました。また、この頃から外交が盛んになり、南蛮鉄などが使用される事になりました。その為、鍛刀法も複雑に変化し、地域による特徴は薄れ、逆に刀工個人の作風が表に出た御作が中心となりました。
 それ以前の御刀、つまり「古刀期」においては、その主要な産地の際だった特色を有しておりまして、この時期を「古刀期」、そして、この各地の産地をそれぞれの「伝方」を即ち、山城(山城伝)、大和(大和伝)、備前(備前伝)、相模(相州伝)、美濃(美濃伝)の五カ国を持ちまして、「古刀五ヶ伝」と称しております。

 前置きが長くなりましたが、今回はその中の山城国(京都府)を中心に栄えました「山城伝」です。
 山城伝は有名なところですと、天下五剣の一振りとして名高い、国宝「三日月宗近」の作者であります「三条宗近」に代表される「三条・五条派」。同じ五剣の一振りであります、御物「鬼丸国綱」の作者「粟田口国綱」が有名な「粟田口派」。ちなみに、この粟田口国綱は、後に相模に下向致しまして、相州伝の基礎を築きました一人です。その他にも、来國行を開祖とします「来派」の一門。また、この「来派」の系統を引くと言われる「信国派」。「名物「圧し切り長谷部」で有名な長谷部国重率いる「長谷部派」などが、主に有名なところかと思います。
 山城伝の良く言われます一般的な特徴としましては、良く詰んだ小板目の地肌に、小沸が良くついた直刃の刃文を焼き、切先は小丸に返るという、基礎的な様相を呈しております。ただ、山城伝の中にも、湾れや小乱れの交じるものもあり、皆焼(ひたつら)を焼く長谷部派なども御座います。特に長谷部派は相州色が強く、沸づきが良く、働き具合も、地景(ちけい)、金筋(きんすじ)などが入る作風になっておりまして、その美しさたるや、息を呑むものが御座います。

 先日、日枝神社に行って参りまして、奉納されております「定利」の太刀を見て参りました。鎌倉中期の初頭の御作であります、この綾小路定利は、踏ん張りも強く、切先も小切先で、過度期に見られるような「猪首切先」ではありませんでしたが、非常に優雅な太刀姿で、山城伝特有の小板目が詰んだ地肌に小沸のついた小丁字交じる小乱れで、この時期の刃文は、誠に変化に富んで、例え直刃調のところでも、単なる単調な直刃ではない見事さを観察する事が出来ました。
 このような太刀は、なかなかにお目にかかる事が出来ませんが、眼福を授かりますと、その出来は、誠に良い教材でありまして、あらゆる特徴が網羅されております。ガラス越しですので、手に取るような感動や細やかな造り、働きを見る事は出来ませんが、これからもこういう機会は逃さないようにしたいと考えております。



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