其ノ十三 「脇差について」


 今回は、部分的な内容は一端置きまして、「脇差について」です。

 脇差は、「差し添え」とも呼ばれております通り、本来は「刀」に対する文字通り「差し添え」だった訳です。この差し添えの考え方は色々御座いますが、例えば、大刀が破損した時の変わりという考え方もあります。新撰組の近藤勇や土方歳三は、この考え方に忠実に従い、実際に一尺九寸などの、殆ど「大刀」と変わりない脇差を使用しておりました。
 その他にも、合戦時の「首取り刀」が元になっているという考え方も出来ます。合戦時には、「腰刀」や「鎧通し」などと呼ばれる、多くの種類の「差し添え」が存在しました。介者から素肌の平常着に移行しても、この頃の要素が色濃く残っておりますのも、また「脇差」の存在意義の一つだと思います。ただ、この説から参りますと、余り長い脇差よりは、尋常な長さの脇差のほうが向いていると思われますので、前項の「大刀の代わり」という考え方とは、また別系統では無いかと思われます。
 もっとも、こちらの考え方には現在の分類で言います「短刀」も、その範疇に入っているように思いますので、脇差への成り立ちが、「大刀」から短い「差し添え」へ、或いは、鎧通し等の「短刀類」から「差し添え」へと、二系統の変化を辿ったとしても、それは何ら不思議がないように思います。ただ、脇差の大本の実用性を考えますと、概ねこの辺りだったのではないでしょうか。

 しかし、不思議な事に、この考えから行きますと、『「太刀」に対する「打ち刀」は、まさに「差し添え」だったのでは?』との疑問がわくのですが、室町後期の文献などを調べますと、「三本指し」という遺風な「もののふ」の姿を見る事が出来ますので、過度期には「打ち刀=差し添え」と言う時期があった可能性もありますが、基本的には脇差は元々「戦う為の大刀」とは別の系統から発祥したのではないかと考えるようになりました。その回答の一つに、脇差は「儀礼的」な意味合いも強かったのではないかと考えられます。
 大刀は礼儀の関係から、指して歩く事の出来ない場面が多々ありました。例えば、江戸期には登城中は二本指す事の許された「番差し」の大小も、城内では「脇差」のみに限定されておりましたし、茶室の中にも「大刀」を持ち込む事は出来ませんでした。茶室は場合によっては「脇差」すらも指す事が出来ず、武士達は脇差の意味合いで「扇子」を指していたのではないかとの推測さえしたくなります。その他にも、江戸期の吉原のような遊郭では、大刀を持ち歩くのは「野暮」とされており、粋な旗本などは、着流しに脇差のみを指してお上がりになったそうです。
 ただ、どんなケースでも、大抵は「脇差の帯刀は許される」と言う事です。これは、武士の身分を明確にするという事よりも、「嗜み」という意味が強かったように思います。つまり、この場合の脇差は、「武器」というよりも「作法」として、何か重要な役割を持っていたのでしょう。事実、建前上、江戸期には武士以外の身分には帯刀を禁じておりましたが、実際は町人も「脇差」の帯刀は許されており、そう言う意味では武士の脇差と何ら遜色がなかった訳です。また、婦女子におけます「懐剣」も大きく考えれば、この「脇差」と根本的に繋がってくるように考えられます。
 そう考えますと、脇差は、日本人に根強く残る「日本刀至高主義」の本当の根本であったのではないでしょうか。
 もっとも、「じゃあ脇差は実戦では役に立たないものだったのか」と言いますと、決してそんな事はなく、現存しております多くの「古流剣術」に、その「形」が残っております事からも、古来より実戦で多用された事は、容易に推測出来ると思います。

 さて、脇差と申しますと、大刀に比べて、一般的に価値が低く評価されておりますね。同じ刀工さんの作刀ですと、だいたい「大刀」の半額ぐらいが相場と言われております。ただ、「鍛え」や「刀工」の特色自体は、「大刀」と同様に現れておりますので、日本刀を勉強致しますには、価格が安くて入手しやすい分、大刀よりも優れているように思います。一番最初に入手する日本刀は、手入れや取り扱い、価格の面からも脇差が宜しいという方も多くいらっしゃいますが、私も賛成です。
 また、武用面からの購入を考えますと、その「造り」や「寸法」が気になるところですよね。多くの方は、実戦で「大刀」の代わりになるようにと「長脇差」を選ばれるのではないでしょうか。私はどちらかと言いますと短い脇差が好みです。「大刀」の内側の間合をカバーしてくれるだけでなく、「軽い」と言う事も一つの武器になるでしょうし、また「短い」と言う事も、考え方次第では大きな武器になるのではないかと考えております。
 そう考えますと、脇差は短刀も含めまして、実にバリエーションに飛んでいるように思います。江戸期でには「定寸」というものが出来まして、何故か大刀は、この枠を多き悔い脱することなく、皆、同じような寸尺の刀を扱っておりました。しかし、脇差はあえて個性的なものが多く残っております。
 私もこれから脇差を拵える際は、大刀より一層の「個性」を繁栄させる事が出来ればと思います。それは、日本人が廃刀令発布まで手離す事の無かった「日本人の柱」としての役割を、再び取り戻したいという思いが有るからかも知れません。



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