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第十一回目の今回は「中心について」です。
中心(なかご)は「中心」、「茎」とも書きますが、普段は柄の中に収まり、お目に掛かる機会が少ないものですが、刀の役目から言いますと、文字通り、花の「茎(くき)」に例えられるように、正に中心(ちゅうしん)的な存在だと思います。中心の語源は、古文書などを拝見しますと、恐らく「なかごめ(中込)」からきているのではと思います。
日本刀は、刃文や地鉄が優れていれば良いという訳ではなく、刃味が幾ら優れていても、中心が貧相では安心して使える日本刀には遠く及びません。上古刀期の直刀や、古刀初期の毛抜太刀の時期には、中心は柄と一体成形とも呼べる造りをしておりました。それがどの様な経緯で現在の形式になったのかは、色々な説がございますが、主な理由は、やはり衝撃を吸収して、手に負担を掛けないようにする為では無いかと言われております。
しかし、一方で、日本刀の最大の弱点は柄であるとの意見も御座います。たしかに、日本刀のパーツの中でも、柄は最も破損しやすい部品にあげられると思います。ただ、破損しやすい柄というのは、やはり中心と密接に関係しているように思います。「中村流抜刀術」の御宗家であります「中村泰三郎」先生は、その著書の中で、中心の重要性について記しておられます。それによりますと、中心は刃渡りに対して適切な「長さ」を必要とし、形に関しても痩せたものではなく、厚みや幅が必要であると仰っております。これは、正にその通りだと思います。一体化成形々式では無くなったとはいえ、柄は所詮、木製でありますから、骨となります中心がしっかりと密接している必要があるわけです。
先の大戦時に、刀剣研究家でありました「成瀬関次」氏が、その著書の中で日本刀の柄の貧弱性を語っておりましたが、全ての柄に当てはまる訳では無いと思われます。もしそうだとしたら、古刀期から続く、この柄の形式が、何の変化も遂げずに残されるというのは、些か不自然のように思います。恐らく、当時の中心は、実戦に耐えられる形状をしていたのではないかと推測されます。それが、江戸の太平期に入りまして、中心の扱いも安易になっていったのでは無いでしょうか。その一つの例としまして、良く中心に目釘穴がたくさん空いているものを見る機会があると思います。その理由の主なものに、「磨上げ」がございます。磨上げとは、古刀初期に流行りました長い刀を、「片手打ち」が流行しました時期、或いは江戸期に入りまして「定寸」という観念が出来てから、短く仕立て直すという行為が行われました。この際、中心側から縮める事となりまして、それによってずれた目釘穴の変わりに新しい穴を穿った訳です。そして、もう一つの理由が御座います。当時、柄に使用されます「鮫皮」は大変貴重なものでして、そして武士達が鞘に収まって、普段見せる事の出来ない「本身」のかわりに自慢出来るものだったのです。当然、貴重な鮫皮は、古い物でも使い回される事も多かったようです。その際、既に目釘穴の空いている鮫皮に、新しく中心に合わせて空ける訳には参りませんから、中心に新しく目釘穴を空ける訳です。正に本末転倒ですね。太平期の武士達の暢気ぶりが良く現れている実話だと思います。
このように、中心は刀の機能に密接に関係した重要な部分であります。また、中心の魅力はそれだけではなく、美術的な観点から見ますと、更に奥深い世界を持っております。
中心の形状は、いくつかの種類に分類されておりますが、実際は一つ々、その刀匠さんによって微妙な特徴があります。この特徴によって、中心のナリだけで、刀匠さんを特定できるわけです。また、特製する材料はそれだけではなく、「鑢目(やすりめ)」や「中心尻」の形状、また「銘」によっても特定する事が出来ます。特に銘は、文字自体の鏨目も鑑賞の対象になりますし、無いように関しましても、刀匠さんの名前は勿論、居住地、受領名、制作の年代等々、実にたくさんの情報を含んでおります。その為か、江戸期には「偽銘(にせめい)」が良く切られました。通常銘の他にも「裁断銘」などもございましすが、銘はまた次の機会にでもお話ししたいと思います。また、中心自体の錆肌も、年代を知る上でも、またその肌を味わう意味でも非常に重要なポイントになります。この錆肌を守る為に、再刃を行う際に、独特な見所の「水影」を生み出す訳です。水影とは、焼き直しの際に出来る、刃区部分の独特な影の事で、欠点ととらえられる事もありますが、見所としても面白味と魅力を持っております。
その他にも、樋の種類によっては中心まで及んでいるものを御座いまして、これも見所になります。樋の止め方によっても、中心に味を加える要素になっております。
このように、中心は実に奥深く、また非常に重要な部分です。今回の回では、語り尽くせないものも御座いますが、今回はこの辺に致したいと思います。
それではまた!
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