|
第八回目の今回は、「刃文について」です。最近テーマの模索が少し苦しくなってきたのですが、今回はリクエストも御座いましたので「刃文」と致しました。
ところで、刃文は刀の中心的存在と言っても良いぐらいの重要な見所とされております。「地鉄」、「体配」等と共に、美術的観点からも、武術的観点からも、誠に多くの注目を集めている事でしょう。実際、刃文は刀の強度、刃味などに密接な関係を持っておりますので、やはり「武器」という観点からの日本刀には、刃文は注目せざるを得ない事柄のように思います。
さて、具体的な刃文の種類や内容につきましては、ここで語るよりも、専門書や他の日本刀サイトで詳しく解説されていると思いますので、省かせて頂きます。今回は美術的観点からよりも、少し武術的観点を重視して話を進めていきたいと思います。
まず、昔から良く議論される内容に、「良く斬れる刀というのは、どのようなものなのか」という点が有ると思います。ただ、刀というのは不思議なもので、昔からこれほど身近にある武器であるにもかかわらず、他の武器に比べますと、具体的に、その有用性、或いは発展性について議論された事が殆ど無いのが実情です。たとえば、弓や鉄砲などの遠距離武器に関しましては、その優位性や、役割分担、有効に使用する方法など、多岐に渡りまして過去の実績や文献などが見て取れるのですが、刀の場合は、人によっては「長い刀が良い」だとか、「実戦では短い刀が良く斬れるものだ」だとか、曖昧な上に、ではその根拠について語られているかと言いますと、そこまで突っ込んだ解釈を示しているものは、殆ど無いのではないでしょうか。刃文につきましても、やれ「乱れは折れやすいから駄目だ」とか「直刃(すぐは)は斬れる」などの話は良く聞きますが、理由は何なのかまでは釈明されていない書物が殆どです。この辺を少し、私なりに考えてみたいと思います。
刃文の種類から言いますと、文献などでは大抵、「直刃が一番斬れる」と良く目にします。その根拠は、殆ど「実戦からの経験」、或いは「実際に斬った感想」となるのでしょうけど、実際、過去から「良く斬れた名刀」と呼ばれる刀に「乱れ刃文」の刀も多くありますので、「乱れ刃文」が斬れないという訳では無さそうです。ただ、やはり先人達が仰るには、それなりの経験と知識が有ると思いますので、やはり直刃刃文のほうが斬れるのでしょう。
では、何故直刃が良いのでしょうか? まず、刀が斬れるメカニズムを少し考えてみますと、刃先を拡大した場合、斬れる刀と斬れない刀では、高硬度にかたまった粒子の配列が違うようです。つまり、これは何かと言いますと、刃文の見所であります、「沸(にえ)」や、「匂い(におい)」なのです。元々、この沸、匂いというのは、焼き入れの際に結晶した鉄の粒子(学名でマルテンサイトと申します。)なのですが、沸出来でも、匂い出来でも、刃中の中でハッキリと粒子を形成している刀は、刃先が綺麗な鋸状になり、引っかかりを生じ斬れやすいようですね。対して、刃中の粒子がハッキリしない刀は斬れ味も鈍いようです。この引っかかりを生ずるというのは、日本刀の斬れ味には重要な点でして、例えば、刀に余り良い研ぎを掛けると、刃先が滑り、斬れ味が悪くなる為、わざわざ砂の中に突き刺したり、刀を草鞋に両面から挟んで擦ると言うような事をして、引っかかりを出していたようです。これを「寝刃合わせ」と申します。
こう考えますと、粒子の配列が均等に並びやすい「直刃」のほうが、粒子の配列に遊びのある「乱れ」よりも、比較的「斬れる刀」が出来易いのではないでしょうか。名刀と呼ばれる刀は、刃文の素晴らしさも対象に挙げられますが、これはあながち、美術的観点からのみの考え方では無いと言えると思います。
次に、「焼き幅の広い刀は折れやすい」という事も言われますね。美術面を意識した刀は、大乱れで焼き幅を広く取りますが、これが宜しくないという方が多いと思います。これは単純に、焼きの入った部分は硬くなりますから、衝撃に脆く折れやすい事に他ならないのです。このことを回避する為に、ハバキ元を焼き入れしない「焼き落とし」という方法も取られたりしています。実際に私の佩刀は、ハバキ元から一寸五分ほど焼き入れがされておりませんが、最近の刀では非常に珍しいかも知れません。
ただ、私が思いますに、この焼き幅の「狭い」、「広い」よりも、実際は焼きの深さ、つまり「どれ程の温度で焼きが入れられているのか?」、こちらの方が強度に密接に関係しているように思います。つまり焼き幅が狭くても、「焼きの深いもの」は、やはり刃切れが出来易いでしょうし、何より刃こぼれがしやすいように思います。また、ある程度焼き幅が広いものでも、「焼きの浅いもの」は、刃が捲れる事はあっても、こぼれる事は少ないのではないでしょうか。実際、昔の書物にも、「焼き幅の狭いものは戦場で用いるべからず」と忠告しているものも有りますので、この辺が関係しているように思います。
先の大戦で、日本刀を実戦投入された方々は、「焼きが深いものは良く折れ、浅いものは曲がったり、捲れたりする事はあっても折れなかった。折れてしまっては死を意味するが、折れなければ何とでもなる。」と仰っておられました。特に、古刀は良く曲がり、新刀以降は良く折れたとの事です。これは刃文だけの問題ではないと思いますが、やはり「焼き入れ」が密接に関わっている部分も多いと思います。
ただ一つ問題なのは、「沸出来」などの場合は、焼きを深く入れないと粒子がハッキリ浮き出ない事です。この辺の兼ね合いが難しいく、恐らく過去から現在に続く刀匠の方々は、この兼ね合いを探求されていたのでしょう。
刃文は、言わば「刀剣の顔」と言えると思います。刃文を知り、刃文を解析する事で、その刀の「可能性」や「能力」を知る事も可能だと言えるのではないでしょうか。そう考えますと、美術観賞用、武術用と分けて定義してしまうのは、日本刀の可能性の視野を実に狭めてしまう事になるように思います。日本刀の可能性を、より広い視野と探求心で臨む事こそ、より新しい発見と、自らの武術の発展があるように、私は思います。
それでは今回はこの辺で!
|