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日本のWEB LOGGERへ

たぶん日本でブログをやっているほとんどの人間はなぜこれほど日本でブログが普及したのか知らないであろう。俺のウエブ上で書くのは三回目になるが、俺のアーカイブに入っているFeb./15/2004 Sundayで書いた文章をもう一度ここに抜き出してみよう。

「今、俺の書いてるこのセクションはe-JOURNALいわゆるBLOG(中略)最近ではイラクの戦争を客感的なイラク人の目から見たBAGHDAD BURNINGのブロッグが一躍脚光を帯びた。そのBAGHDAD BURNINGの話になるが、去年のアメリカのイラクへの侵略の中で従軍記者、いわゆる日本でもマスコミでよく使われたエンベッデッドの記事は、第二次世界大戦の時の日本の大本営発表の報道と同じ様に、アメリカ側にとって有利な報道ばかりで何一つ真実は伝えられなかった。カタールの衛星テレビ、アルジャーラもアラブ寄りの為、西世界ではまた真実として受け取られなかった。その中で一人のイラクの学生がイラク侵略攻撃直前から、彼と彼の周りに起こる毎日の体験をインターネットを通して語り始めた。そのありのままの姿があまりにも衝撃的で悲しく、あっと言う間に全世界の人に真実の報道として受けとめられた。

インターネットの違った意味での本当の素晴らしさは、たとえ巨大な政治の圧力で報道の自由を操作しようとしても、それに屈しないで表現の自由をより高い時限まで引き上げるチャンスを与えることができたことである。」

と言う事であるが、日本でのブログの大半は個人の日記である。
もう一度ここで言うが人間は星の数ほど存在しその自叙伝と日記ほどつまらないものはない。もし彼(彼女)がドクター・ジバゴのような存在であればその日記も素晴らしいものだが・・・・
19世紀の後半、オスカー・ワイルドが
" THE PICTURE OF DORIAN GRAY"の序文で書いてある、
"The critic is he who can translate into another manner or a new material his impression of beautiful things.
The highest, as the lowest, form of criticism is a mode of autobiography."

を訳すと、
「評論家とは美しいものから受ける印象を別の方法か新しい素材に移し替えることができる人なのである。批評の形態として最も高く、最も低いのは自叙伝の形式である。」
となる。どうにでも書けるがどうせ書くなら何か後に残るものがあってもいいんじゃねえのかな?

今誰でも自動翻訳で英文どころかフランス語にドイツ語、韓国語まで翻訳できる。上記のBAGHDAD BURNINGのブロッグも英日翻訳ソフトで読める。最近の彼のブログは中立の立場より完全にイラクよりの立場になってきている。誰もイラクの解決策は見つけていない。日本のBLOGGER、もうそろそろ目を覚ました方がいいぜ。
やらねばいけない事はいっぱいあるぜ。
ところで今日わかった事だけどBAGHDAD BURNINGのブロガーは女性だった。


 



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