牛のことで


インドでもないのに、道の真ん中に牛がいた。
あの、白黒のホルスタインではなくて、地味な和牛だ。
さすがの僕らも一瞬たじろいだ。
まず、ミカが立ち止まり、一歩先で僕も止まった。
牛はこちらに尻を向けている。
時々、しっぽを振ったりする。
「もう、なんでもありね」
ミカが言う。
「何でもありみたいだ」
僕も言う。
確かにその通りだ。いい加減にして欲しい。
大人しい草食動物とは言え、牛はデカイ。
生で見ると威圧感がある。
つまり、怖い。
普通、牛は大人しいと思われているし、きっとそうだろう。
しかし、こんな、道の真ん中で人様に尻を向けている牛が、普通と言えるのか。
たぶん普通じゃない。
ことによると、ものすごく怒っていたりするのかもしれない。
何に対して?
もちろん、僕ら人間に対してだ。
復讐を胸に誓って、牧場を抜け出した牛(しかも美味しい和牛)。
最初に出会った人間がその復讐の犠牲者だ。
そんな風に思ってみると、しっぽの振り方に殺意と苛立ちが…。
「どうすんの?」
ミカが小声で訊く。
どうするも何も、僕らは先に進まなくてはならない。
道はこれ一本だ。
僕は意を決して歩き出す。
が、すぐ止まる。
何か投げたら、あっちへ行くかもしれない、と思ったりする。
で、ミカに言ってみる。
「あっちへ行っても、意味ないじゃない」
その通りだ。僕らもあっちへ行くのだ。
ミカが続ける。
「それに怒ってこっちに来たら…」
いちいちもっともな意見。
ミカの顔を見る。滅多に見せない不安げな表情。
思わずキスしそうになるが、ハッと我に返り、思いとどまる。
そうじゃない!
いや、してもいいが、ひっぱたかれるかもしれないのでやめる。
いや、ひっぱたかれはしないだろうけど、バカじゃないの、とか言いそう。
たぶん、言う。
そんなことを考えながらミカの顔を見る。
「なに?」
ミカが不安げに訊くが、まあ、答える訳にはいかない。
「とりあえず…」
そう言って、ミカをその場に残し、僕は前進する。
実は何も考えていない。
男の行動は、だいたい、そんなもんだ。
注意深く近づくとかえって刺激しそうなので、出来るだけ普通に歩く。
牛は相変わらず向こうを向いたままだ。
僕的にはかなり接近したなと思える地点に来ても、まだ、よそ見をしている。
と、その時、牛の耳が動いた。
僕はぎょっとして、立ち止まる。
牛が振り返る。なぜか顔の真ん中に貼り紙。
貼り紙には文字。

〈牛肉が好き?〉

この情況でその質問はない。
だが、牛は僕の答えを待っている。

©  Annatto Shiquiso



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