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湯が沸騰している。
美人の女将が来て、少しお作りしましょうと言う。
雰囲気から言って、まさかバイトじゃないだろう。
着物も他とは少し違う。
どう違うかというと、まあ、高そう。
向かいに座っているミカに小声で訊く。
「女将?」
「ええ、まあ…」
と女将自身が少し笑いながら答える。
ミカは酔ってる。目つきで分かる。
どこか全然違う世界を見ている。
今飲んだビールのせいだろう。
でも、回るの早過ぎ。
「ポン酢とゴマダレ、どちらに?」
女将が訊く。
「自分たちでやりますから」
ミカがそう言って、女将を追い払う。
「さようでございますか」
女二人の間に見えない稲妻が走る。
「すいません」
僕は思わずそう言ってしまう。
ミカが僕を睨む。
「どうぞ、ごゆっくり」
美人の女将がいなくなってからミカに訊く。
「なんで、僕らの席だけ、バイトの子じゃなくて、女将?」
「知らない」
「なんか隠してない?」
「何を?」
僕は湯の中で肉を泳がせる。
ミカも同じようにやってる。
地球に牛がいて本当によかった。
「牛肉、好きなのね?」
「嫌いなの?」
「好きよ」
牛が嫌いな奴っているのかな?
僕は牛を食う。ミカも食う。人間はみんな牛が好きだ。
皿の肉がなくなったので、通りかかったバイトに追加を頼む。
追加分を持って現れたのはまたしても女将だった。
「少しお作りしましょう」
女将がさっきと全く同じことを言う。
「いいえ」
間髪入れずにミカが断る。
またしても見えない稲妻!
「さようでございますか」
女将は空いた皿を片づける。
と、女将の顔に妙な笑みが浮かぶ。
女将の視線の先には、眠ってしまったミカがいた。
催眠術にでもかけられたみたいに、座ったままで、頭をカクンと落としている。
まさか、酔いつぶれたの?
「ずいぶんと頑張られたようですが…」
女将が、笑っているのか睨んでいるのか分からない顔を僕に向ける。
「これで、お・し・ま・い」
僕は、肉をつまんだ箸を止めて確認する。
「これはいい?」
女将が頷く。
肉を湯に泳がせながら、改めて周りを見る。
なるほど、いつの間にか客は僕らだけだ。
灯りも他は全部消えている。
「閉店?」
女将が微笑む。
と、ふいにミカが目を開く。
一瞬嫌な顔をした女将がミカに小声で何か言う。
ミカは女将を無視する。
女将は小声のままで食い下がる。
ミカは黙って女将に目を向ける。
それだけで女将は明らかに怯む。
そして邪魔者は去る。
店内が明るくなり、他の客達も元通りに姿を現す。
僕は肉を煮すぎて、それをミカが笑う。
© Annatto Shiquiso
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