猫のことで


猫がいた。
僕の足下にうずくまっている。
使い古したモップのような汚い白猫。
息をする度に鼻からピーピー、音もする。
猫は僕を見上げて、びゃあ、と鳴いた。
鼻が詰まってる。
「なんだよ?」
猫は黙ったままで、鼻だけピーピー鳴らしている。
黄金の目。
「アーイム・ア・ドーッグ…」
猫が、言ったらしい。
しかも、英語。
「アーンド・アーイ・ウィル・ショウ・ユー・マーイ・トライアンゴー」
僕は思わず笑いそうになってミカを振り返る。
ミカは消えていた。
僕はミカを探す。
猫は構わず続ける。僕は慌てて猫の方に向き直る。
「ルック・マイ・アーイズ…」
猫の両目が僕をとらえる。
「アッシュズ・トゥ・アーシュズ…」
猫が厳かに言う。
聖書なんか引用する猫に会ったのは初めてだ。
て言うか、ただ喋るだけ猫だってそんなにいない。
そんなにって言うか、全然いない。
と、突然、酷い耳鳴りが僕を襲い、猫が笑った。

目の前にゆっくり回る小さな黄色い三角形が現れた。
三角形は僕にある事実を告げた。
目眩を覚えるその内容。

その時、何か黒い物が猫に襲いかかった。
黄色い三角形は消え、僕は今聞いた事実の中身を忘れた。
猫とその黒い物は、叫び声を上げながら、一塊りになって地面を転げ回った。
黒い物も、やっぱり猫らしい。
黒い猫。黒猫。
僕は、猫同士の闘いをぼんやり眺める。
激しい闘いの末、黒い方が勝った。
負けた方は後ろも振り返らず逃げ去った。
黒猫は、興奮さめやらぬ様子で僕の所にやって来ると、緑色の目で僕を見上げた。
それから興奮した猫がよくやるように、意味もなく、急いで肩の辺りを舐めた。
そいつも、やっぱり喋った。
猫のくせに。
「我が名はエクリプス」
こっちの方が声が若い。黒い毛もツヤツヤしている。
「失われたものは既に汝と共にある」
そう言ってから、また、意味もなく、今度は腹を舐める。
僕は、両脇に手を入れてその黒猫を持ち上げた。
黒猫は前ならえの姿勢でだらんと体を伸ばして大人しくしている。
「道の終わりが近いことを知れ」
近くでよく見ると喋っている時も猫の口は閉じたままだ。
変な猫。
「飼い猫ね」
ミカの声に僕は振り返る。
「体も綺麗だし」
「お前、飼い猫か?」
僕が訊くと、その黒猫は、にゃあと鳴いて答えた。
「ちょっと抱かせて」
僕は黒猫をミカに渡す。もうゴロゴロ言っている。
「こいつ、エクリプスだよ」
ミカが、黒猫を抱いたまま、僕を見る。
「知ってるわ」
ミカは、黒猫と見つめ合う。
微笑む女。
その謎の横顔。

©  Annatto Shiquiso



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