書き割りホテルのことで


支配人が、僕を入り口で止める。
書き割りで出来たホテルの中。
支配人は子供。6歳くらい。
「しばらくこちらでおまちください」
小学校の学芸会に紛れ込んでしまった訳ではないらしい。
観客席は見当たらないし、カメラもない。
ただ、広さはまさに舞台そのものだ。
僕は慎重になる。
僕が口を開こうとすると、その子供の支配人が制した。
「おつれのかたのことでしたらごあんしんを」
安心?
安心しろと言われるまで少しも不安ではなかったのに。
余計なことを言う。
「おまちになるあいだ、あちらでこうひいでもいかがですか?」
見ると、奥にソファとテーブルのセットが一組だけある。
ソファは二つ。書き割りではなく、実物だ。
先客がいる。真っ白いスーツに、黄色の靴。
もったいぶって脚を組み、コーヒーを啜っている。
「誰?」
僕は間抜けな質問をする。
誰だか知ってどうしようというのだろう?
子供の支配人が微笑む。
「とうほてるのおうなあでございます」
オーナーね。

僕がソファに腰を下ろすと、その、白服のオーナーが話しかけてきた。
「やはり、このコーヒーはひと味ちがいますな」
そう言って自分のカップを持ち上げてみせる。
「あなたも是非…」
さっきの子供の支配人が直々にコーヒーを運んできた。
僕はコーヒーカップを持ち上げる。
飲むまでもない。すっかり冷めている。
やっぱり学芸会なのか? だから、冷めてるのか?
「何だよ、これ?」
僕の非難に、子供の支配人が意味不明の笑みを浮かべる。
そして、一瞬オーナーと顔を見合わせてから、
「これこそが…」
と、言いかけたその時、邪魔が入った。
「そんなとこで何してんのよ?」
支配人の言葉を遮ったのはミカだった。
その、ミカの声を合図に、周りの書き割りが一気にバタバタと倒れた。
様子がいっぺんに変わる。
ホテルは消え、四方を防音シートで囲まれた更地になった。
防音シートの端から、ミカが顔を出してこちらを見ている。
「何なの?」
「いや、コーヒーが冷めてて…」
すでにオーナーと支配人の姿はない。
「そんな捨ててあるソファなんかに座るのやめなさいよ」
僕は、ソファから腰を上げる。見れば確かに廃品だ。
「もういいの?」
「済んだわよ」
「何してたの?」
「ちょっと」
「ちょっと、何?」
「ちょっと、ちょっとよ」
僕は、煙草を抜き出して、くわえる。
火をつける。
煙を吸い、吐く。
「で、何?」
「バカじゃないの!」
まあ、いいや。
2人で並んで歩き出す。

まあ、いい。
けど、バカって言うなよ。

©  Annatto Shiquiso



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