どうせ、水なんかじゃ流れない。


洋式便器の中に、赤ん坊が仰向けに寝ていた。
男の子だ。裸なので見ればわかる。男だ。
さっき生まれたと言うほどでもないが、まあ、生まれたてだ。
髪の毛は薄いし、両手はグーだし、それになんと言っても、ほんのり赤い。
そいつが、モゾモゾと洋式便器の中で動いている。
ほんの一瞬、レバーを【大】に捻って、流してしまおうと思う。
でも、やめる。
どうせ、水なんかじゃ流れない。
それに、生まれたてでも赤ん坊は便器の排水口より確実に大きい。
詰まる以前に入らない。
が、当の赤ん坊がそれを望んだ。
「流してくれないかね?」
首もすわってない、その、生まれたばかりの人間が言った。
「いっそ、ひと思いに。きれいさっぱり」
俺は、なぜ、自分がトイレに駆け込んできたのかも忘れる。

そりゃ、そうだろう。

俺は、ベルトを締め直す。
シングルマザーになることを拒否した女が産み捨てて行ったのか?
「母のことは、もう、どうでもいいのだよ」
そんな、悟ったようなことを、その、生まれたばかりの赤ら顔の人間が言う。
「無論、父について語ることなど……」
そう言って、フッと笑う。
「今はただ、下水に流され、この身をバクテリアの分解されるに任せたい」
まだ首もすわってないくせに、聞いたふうなことを言う。
「ところで、君が裸足なのには理由があるのかい?」
そんなもんあるかよ!
「私が裸なのには理由がある」
へー、そうかい。
「私は生まれたばかりだ」
やっぱり!
知ってるよ!
「にもかかわらず、ココでは、私が、君より先輩なのは何故かな?」
俺は、ふと、自分の情況を思い出した。
モタモタしてちゃ間に合わなくなる。
が、小さい人間は、そんなこと、全然お構いなしだ。
「君、ちょっと、水を流してみてくれないか? 試しに【小】の方で」
俺は、タンクのレバーを【小】の方に少しだけ捻る。
水がジョロジョロ出て、小さな頭と背中を濡らす。
当の本人は、一瞬、ヒョッと、変で楽しげな声を出す。
「冷たいな。思ったより冷たいよ」
そりゃよかったな。
と、その時、ドアを叩く者がいた。
「すいません! ここ、ダメなんです」
俺は反射的に便器の蓋を閉め、ちょっと迷ってから、返事をし、外に出た。
「まだ、使ってませんよね?」
俺は頷く。
「よかった。上にもありますから、そちら使って下さい」
そりゃ、助かる。
「でも流れない訳じゃないんですよ」
男はそう言って、タンクのレバーを【大】の方にグイッと捻った。
水が勢いよく流れる音がする。
「ほら、ね」


©  Annatto Shiquiso



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