火は虫を焼く

アスファルトの坂をウンウン上って山の上のケーキ屋に入る。
「お持ち帰りですか?」
「いや」
「お召し上がりですか?」
「はあ」
「お飲物はいかがしますか?」
「エスプレッソ」
斜面に作られたバルコニーに出て、今買ったチョコモンブランを食う。
町が見下ろせる。汗をかいた割には町が近い。
エスプレッソを飲む。
いい天気だ。
けど、バルコニーは日陰で、風も強い。
エスプレッソはもう冷めた。
仕方ない。タバコだ。
ライターがガス切れ。
散々カチカチやって諦める。
銜えたタバコを箱に戻そうとして、床に転がした。
まったく。
「どうぞ」
名前を知らない女が落ちたタバコを拾って渡してくれた。
「ああ、ありがとう」
火のついてない煙草を銜えたまま、会議用テーブルから腰を下ろすと窓辺に立った。
隣のビルの中で、機械仕掛けの老人達が体操をしているのが見える。
体操というより、ありゃあ整備だ。単なるメンテナンス。
最近はああいう〈人間〉が増えた。
「ところで君、誰?」
女は、踵を鳴らして窓辺に来ると、並んで窓の外を眺めて言った。
「ご存知のはずでは?」
「いや、知らないな。入社はいつ?」
「今朝です」
「なら、知らなくて当然だ。秘書課?」
「はい」
秘書課の女はそう言うと、ライターの火を差し出した。
そのとき、隣のビルの機械仕掛けの老人の一人が止まった。
膝を曲げ、両手を前に伸ばした状態で、ぴくりともしない。
慌てて前に回り込み、顔の前で手を振ってみる。
無反応。まばたき一つない。
フリーズだ。
リセットボタンを探す。見つからない。
まずいな。すぐ来るぞ。
部屋のドアがガリガリ音を立て始めた。
ほら来た。
壁の丸窓を覗いて音の正体を確かめる。
虫だ。虫が来た。
半透明の、月着陸船のような形をした、6本脚の虫。
ドアの外に貼り付いている。
ケツからドリルみたいなモノを伸ばして、ドアに穴を開けようとしていた。
とっさに柱の〈駆除〉ボタンを押す。
管理人のジイサンを再起動しているヒマはない。
黄色い駆除液がドアの外に溜まっていく。
が、ちょっと遅かったか。
ドリルの先がドアを突き破って現れた。
煙草の火でも押しつければ……。
銜えていたタバコを手に取った。
火がついてない!
ポケットを探る。
ライターどこよ?
「これ、使って下さい」
マッチを乗せた手が、目の前にぬっと現れた。
顔を上げると店のウエイトレスだった。
知ってる。今日からここで働き始めた子だ。
マッチを擦って、悠々と一服。
虫は煙草の火に焼かれて死んだ。

©  Annatto Shiquiso



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