「記憶の刺」について
【注意】

以下のノートには、この作品のネタバレが含まれます。これからこの作品をご覧になるつもりの方は、読まない方がいいですよ。



この作品のモチーフにとって、少年ショーンが、本当にアナの夫の生まれ変わりだったかどうかなど、実はどうでもいい。この作品のモチーフは、「誰かを愛する」とは、結局「愛する対象を自分の中に再構成することである」ということを描きだすことである。言い方を変えれば、愛するということは、度の過ぎた「思いこみ」に過ぎないということを、描き出すこと。それがこの作品のモチーフだ。

少年ショーンは、アナが夫に宛てて書いたラブレターを読んだことで、すっかりアナに夢中になってしまい、自分がアナの夫の生まれ変わりだと思いこんでしまう。「なぜなら、自分はこんなにアナのことを愛しているから」というのが、少年ショーンが、自分をアナの夫の生まれ変わりだと信じる最大の理由だ。もちろん、名前が同じということも、彼をそう信じさせる原因の一つにはなっている。

アナは、少年ショーンに、死んだ夫を見るようになる。なぜか? 死んだ夫でなければ知らないはずのいろいろを少年ショーン知っているからか?(少年ショーンが、アナと夫以外知らないはずのあれこれを知っていたのは、アナ自身が夫に宛てて書いたラブレターを少年ショーンが読んだからにすぎないのだが)。そうではない。自分(アナ)のことを一途に愛してくれる存在(少年ショーン)を、その「一途に愛してくれる」という理由で、死んだ夫でだと思いこんでいくのだ。

もちろん、どちらの「思いこみ」も〈本当に〉ただの思いこみでしかない。客観的事実は、赤の他人同士。思春期前の子供と、40近くの未亡人にすぎない。だが、「思いこみ」によって引き起こされた精神的な体験は〈現実〉である。ここがカンジン。つまり、物語のラスト、アナにしてみれば、二度夫を失ったことになり、少年ショーンにしても、妻だと思っていた女性が、妻ではなかったという事実(つまり自分がアナの夫の生まれ変わりではないと言う事実)に打ちのめされる。

少年ショーンの方は、実はアナより複雑だ。何しろ、こんなに一途にアナのことを愛しているのだから、自分が必ずアナの夫の生まれ変わりだと信じていたのに、現実にはアナのことを一途に愛してることこそが、自分がアナの夫の生まれ変わりではないことの証拠になるからだ。そう、アナの夫は、アナがそう信じ込んでいたようには、アナを一途に愛してはいなかった。アナの夫は、自分の親友の妻を愛人にしていたからだ。

この作品の中で、「生まれ変わり」が成立するのは、少年ショーンとアナの二人が「死んだ夫ショーンの現実」を知らないからに他ならない。「生まれ変わり」を信じた二人は、妻のことを一途に愛する理想の夫としてのショーンという虚像(幻想)を現実だと信じていた。だが、少年ショーンの方は、最後に「妻に一途な理想の夫ショーン」というものが虚像に過ぎなかったことを知らされる。その現実を知らされた少年ショーンは、アナのことをこんなに愛している自分が死んだ夫ショーンの生まれ変わりであるはずがないと確信し、それゆえに、アナとの「別れ」を選択する。

一方アナは、少年ショーンの心変わりが理解できない。少年ショーンが「生まれ変わりなどでたらめで、最初からアナのことをだましていた」と認めても、彼女には、少年ショーンがやはり夫の生まれ変わりなのかもしれない、という気持ちが残る。なぜか? アナにとって、死んだ夫ショーンは、まさに「妻を一途に愛する理想の夫」であり、少年ショーンがアナに対して示した愛情こそはまさしく、アナにとっては死んだ夫のそれそのものだからだ。つまり、少年ショーンには、自分自身のアナに対する一途な愛を根拠に、自分がアナの夫の生まれ変わりではないという確信があるのだが、アナにとっては、一途な愛こそ夫の生まれ変わりである根拠なのだ。そして、少年ショーンに接するときの「感覚」は、まさにアナの中での夫のショーンそのものだ。だから、少年ショーンが「生まれ変わり」をウソだったと認めたあとで、婚約者とよりを戻し結婚(再婚)したアナは、自分が再婚してしまったことで、完全に夫ショーンを失ったという現実に気づき、ウエディングドレス姿のまま精神に変調を来すことになる。

(2007.11.04)

©  Annatto Shiquiso

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