「スネークアイズ」について
【前置き】

『スネークアイズ』をこれから楽しもうという方は、以下はお読みにならないことをお勧めします。


■事実■

中佐とパウエルが、テロリストを使って(騙して?)、国防長官と、改竄を暴露しようとした女社員ジュリア・コステロの暗殺を企てた。
ボクサーは「目くらまし」に使われた。
赤毛の女と酔っ払いは、中佐の部下で、あとで中佐に殺され、コンクリート詰めにされた。赤毛の女が赤い指輪をはめていた。
中佐は最後に観念して自殺した。
主人公リック・サントーロ(ニコラス・ケイジ)は、殺されそうだった女社員ジュリア・コステロを救ったことでヒーローになるが、その後、汚職刑事として告訴され、実刑判決を受けた。
パウエルの「パウエル・ミレニアム」の建設(あるいは増改築)は継続された。


■確認■

この作品で問題なのは「エンドロールのお終いを見て、意味が分からなかったら、もう一度最初から観ろ」とか、「最後にどんでん返しが控えている」とか、そういうものが作品の宣伝文句として謳われている点だ。要するに、「謎」や「どんでん返し」があるからと最初に念を押されて観始めるのに(デ・パルマの作品はそんなのばかりだ)、最後まで観終わっても、何が「謎」や「どんでん返し」なのか分からなくて、観客は首を捻ることになる。「ちょっとしたものやそれらしいものはあるが、わざわざ最初に念を押すほどの謎やどんでん返しは無いだろう?」そういう「釈然としない感」が、この作品にはある。

例えば、最後に画面に大写しになる赤い石(指輪の石)は、中佐に殺された部下の女(赤毛の女で、赤い指輪をはめていた)がコンクリート詰めにされたために、あそこにあることがすぐに分かる。だから、あれがどこから来たのかを「謎」と呼ぶのは、どうもな、といわざるをえない。

また、一旦ヒーローにまで祭り上げられた主人公が、一転、汚職刑事として刑務所にいくことになるそれを「どんでん返し」と言うのか言えば、言えないこともないが、それにしても、わざわざ前もって宣伝するほどの「どんでん返し」でもない気がする。

制作者側が、上の二つのどれか(もしくは両方)を、宣伝している「謎」や「どんでん返し」として用意したかどうかは、この際どうでもいい。ここでは、もっと念の入った「謎」や「どんでん返し」を、勝手に「深読み」してみたい。


■本文■

コンクリートの柱に、赤毛の女がしていた赤い指輪が埋まっていたということは、あの女の死体が回収されなかったことを意味しているのか? 指輪が自然と死体の指から抜け落ちて、指輪だけが回収されなかったという可能性を否定するならそうだ。そして、あそこでわざわざ指輪を映し出すということは、ただ、回収され忘れた指輪というよりも、あのコンクリートの中には女の死体がまだ入ってるんだということの暗示と見た方が自然だ。指輪だけが回収されずに残ったことに、なんら意味は見いだせそうもないが、女の死体が回収されなかったということには、何か意味が込められそうに思えるからだ。

そこでまず、その直前の場面を思い出そう。ラストの場面。あの指輪の埋まったコンクリートの柱が使われるらしい建設(もしくは改築)中の建物の看板だ。「パウエル・ミレニアム」。あの兵器会社(航空会社)の社長パウエルの「ミレニアム」だ。暗殺事件の真相が発覚したはずなのに、パウエルは「ミレニアム」の建設(改築)をしている。これはどういうことだろう? 普通、暗殺事件に関わった人間が経営する会社が、その後も存続することはありそうもない。百歩譲って、もし存続し得たとしても、犯罪者であるパウエルの名前を社名として残すはずがない。が、現に「パウエル・ミレニアム」は建設(改築)されている。このことの意味するところは一つ。つまり、パウエルは、暗殺共謀の罪に問われなかったということだ。
では、パウエルが暗殺の罪に問われなかったとは何を意味するのか? 

それを知るには、主人公に与えられた人物像(キャラクター)に注目すればいい。
あの主人公の人物像は、最初からどうも不自然で、嘘っぽさがある。どこか、浮いた感じがあるのだ。物語(映画でも小説でも)の中の登場人物が、ストーリーを進めるための「機能」を優先された人物像を与えられていると、我々はその登場人物に対して、この不自然さや嘘っぽさを感じてしまう。この映画の主人公がまさにそれだ。リアルなあり方の人間が、ある状況下でどうふるまうかによってストーリーが組み上がっていくのではなく、まず、ストーリーがあり、そのストーリーをうまく流すために、あとから組み立てられた人間(人物像)が、この映画の主人公なのだ。だから、この映画の主人公には、時代劇に登場する悪代官にちかい、人間としてみた場合の嘘っぽさがある。登場人物たちが、それぞれの個性に従って「自由」にふるまうことで、ストーリーが進んでいくのではなく、確定されたストーリーによって登場人物の行動が決定されていて、その決定された行動を取る「ため」の人物像が、登場人物に付与されるタイプの作品では、その登場人物に誂えられた人物像の「作為」について考えてみると、作品全体の「作為」がつかみやすい。

主人公が、ああいう、汚職警官だが身内に対する情には篤い人間である理由は二つある。一つは、国防長官暗殺を企てた連中に「簡単に金で丸め込める」と見なされ、彼らに利用されるために事件現場に登場するため。そして、もう一つが、この作品の「作為」をうまく機能させるためだ。

作品の至る所で、彼の「刑事としてそんなに誉められたもんじゃない」ぶりが披露される。彼は、妻子がありながら愛人を囲い、ドラッグの密売人から金を巻き上げ、ボクシングの試合に賭け、窮地に陥った親友を助けようと捜査の妨害まがいのことをやり、事件の重大な真相を知らされたことに迷惑だと怒り、大金をちらつかせる犯罪者からの取引に激しく動揺する。そんな中で、私が特に注目したいのは、作品中の彼の発言の一つだ。彼は、窮地に陥ったと言う親友(中佐)に対してこう言う。
「嘘をつけと言ってるんじゃない。余計なことは全部省け」
作品冒頭から盛んに示される「非行警官」ぶりと、この発言から、彼が、決して「社会正義のために何が何でも真実の全てを明るみにしなければならない」という考えの持ち主ではないことが分かる。それが社会正義に反するものであっても、言わずに済ませられるものは黙っていればいい。特に、自分にとって身近な人間がそれによって不利益を被るようなときは、多少「正義」をねじ曲げてもかまわない、そういう考えを持った人間だと言うことがわかる。
そこで私はこう考える。
主人公は暗殺事件の真相については事件後も口を閉ざしていたはずだ、と。

では、暗殺事件の真相を知るもう一人の人間、女社員ジュリア・コステロはどうだろう?
彼女の立場からしてみれば、自分から暗殺事件の真相の目撃者として名乗り出て、わざわざ面倒に巻き込まれなければならない理由はない。彼女が暗殺事件の真相の目撃者だと知っているのは、主人公だけだ。彼女は、改竄事件の暴露阻止のために追い回されていた(命を狙われていた)だけなので、改竄事件が世間に暴露されてしまえば、もはや付け回されたり、命を狙われたりする危険はなくなる。だから、彼女は、面倒がご免なら、暗殺の真相については黙っていればいいし(知らない振りをすればいいし)、実際、中佐の親友である主人公への気遣い(気兼ね?)も手伝って、黙っていたいだろう。だから、中佐が国防長官の暗殺に関わっていたことを、すでに中佐が死んでしまった以上、彼女が改めて暴き立てることはないはずだ。

要するに、私はこう考える。
事件の真相を知る二人の人間はどちらも、暗殺事件については口を閉ざしたままで、だから、世間は暗殺事件の真相を知らされていない。
これがこの映画の「どんでん返し」であり「隠された謎」だ。



パウエルが、暗殺事件に関わっていたかどうかは、主人公も、女社員も知らないわけだから、彼等の口から、パウエルが暗殺事件に関与していた云々の証言は得られない。だが、暗殺が、単にテロリスト一人の計画ではなかった(軍関係者が関わっていた)ことが暴露されれば、当局は当然パウエルにも疑いの目を向けるはずだ。もちろん、パウエル(社)は「改竄については、軍(中佐)と共謀したが、暗殺に関しては何も知らない」と主張することも出来る。だが、暗殺事件については無関係だったとしても、データの改竄までして無理矢理に自社製品(エアガード)の導入を決定させたことで、国防大臣が暗殺されてしまったわけだから、その道義的責任はきっと追求されるだろう。パウエル社の社会的抹殺もあり得るはずだ。

しかし、社会がパウエル(社)に対してそこまでの責任を負わせない場合も、可能性としてはある。そして、その可能性を認めるなら、パウエル(社)の「無事」だけを証拠(根拠)に、暗殺事件の(軍関係者が関与していたという)真相が、闇に葬られたとは言い切れなくなる。
そこで出てくるのが、コンクリートに埋め込まれた指輪、つまりコンクリート詰めされたままの女の死体だ。これこそが、主人公(と女社員)が、暗殺事件の真相について口を閉ざし、中佐のシナリオに敢えて「乗った」確かな証拠なのだ。

ちょっと考えると、暗殺事件の真相(軍関係者が関与していたという真相)は明らかにされたが、捜査当局が、コンクリート詰めにされた女の死体を見つけだせなかっただけということもありそうな気がする。だが、実際には、そんなことはありえないのだ。なぜなら、主人公は、拷問を受けた場所から逃げ出すとき、死んだ女がコンクリート詰めにされる作業を見ているからだ。もちろん、正確に何が行われていたかはその時の彼には知りようがない。が、もし、彼が、中佐の死後も本気で暗殺事件の真相解明に向けて行動していれば、あの時のあれは何の作業だったのか、と必ず思うはずだ。更に赤毛の女と酔っ払いが、スタジアムから忽然と姿を消したことが分かれば、必ずコンクリート詰めされていたモノがなんだったのかを調べようとするだろう。(なにしろ主人公は、こと事件を解決する能力に関してはかなり優秀なのだ。なにしろあの大混乱の中の記憶だけで、目玉の風船に取り付けられていたカメラがあったことに気付いてしまうくらいなのだから。)そして、調べれば、死体はきっと見つかる。逆に言えば、調べてないからこそ、女の死体はコンクリート詰めのままなのだ。また、事件後、パウエルが、死体の埋まったコンクリートの柱を処分もせず、堂々と建材として使っているという事実も、暗殺事件に関しては「テロリストの犯行」として「解決済み」であり、それ以上の捜査はいっさいなされなかったことを意味している。

つまり、映画の中において、世間的に明らかになったのは、
(1)国防長官がテロリストによって暗殺された。
(2)パウエル社によって改竄されたデータにより、エアガードが採用されかかった。
(3)その改竄を暴露しようとした女社員が、改竄事件に関わった中佐に危うく殺されかけた。
というその三つだけなのだ。そして、事件の真相について知る者(主人公と女社員)が沈黙を守る限り、この暗殺事件と改竄事件を結びつけなければならない確たる証拠は何もない。(疑惑はあっても。)実際、国防長官を撃ったのはテロリストだし、中佐とその部下が暗殺事件に関わっていた証拠(赤毛の女とよっぱらいに変装して暗殺の手引きをした二人の部下、ビデオテープ、更には中佐自身)は、全て、中佐の手によって「消され」ているわけだから、捜査当局にとっても、事件は解決済みとするほうが「合理的」かつ「経済的」なわけだ。



映画の観客として、事件の真相を全て知ってしまっている我々は、一連の事件が「解決」したからには、「全て」が公になったと、勝手に思ってしまう。だが、そうではない。事件関係者がすすんで自白するか、主人公と女社員のどちらかの証言がない限り、暗殺事件の真相は明らかにされようがないのだ。証言によらずに真相に迫るには、ただ、あのコンクリートの中の死体を見つけだす以外にないのだが、映画の中で死体は最後までコンクリートの中に入ったままだ。その、死体がコンクリートの中に入ったままという「事実」が、逆に、真相が明らかにされていないことの証拠(根拠)になる。



繰り返しになるが、だから、エンドロールのおしまいに、コンクリート詰めにされた女の指輪が映し出されることの意味は、観客としての我々が知っている真相の全てが、劇中で公になったわけではないということのメッセージであり、それはすなわち、真相を知る主人公と女社員の両方が、暗殺事件の真相を闇に葬ったことを意味しているのだ。

このことが「どんでん返し」として機能するのは、それが、映画に対する我々の「無意識の予定調和」を裏切るからだ。呑気な我々観客は、犯罪映画に於いて、主人公が生き残り、悪人が死ぬと言う結末になれば、その後主人公は事件について全てを公表し、事件は世間的にも解き明かされたと勝手に思い込んでしまう。少なくとも、主人公が知っている全ては世間に公表され「正義」がなされたと思ってしまう。また、パウエルが「無事」なのも、主人公がパウエルの関与については知らなかったからだ、と、やはり勝手に解釈し、不自然さを感じない。だが、女の死体がコンクリートに埋まったままだという事実は、我々の主人公が、暗殺事件の真相については、何もせず放っておいたということを示している。だから、あの最後のコンクリートの中の指輪は、正義が勝ち残るタイプのハリウッド映画の「文法」に毒されすぎて、「描かれていない事実」まで勝手に読み取って勝手に安心してしまう我々に対する一種の皮肉、あるいは挑戦として、存在していることになる。



だが、以上のような論を展開する場合、どうしても説明を求められることになる箇所(場面)が一か所ある。主人公が街の英雄として表彰されるニュース映像の場面がそれだ。あの場面で、テレビのナレーションは主人公のことを「国防長官暗殺の動機ともなったパウエル航空の陰謀を暴露しようとした女性の命を救った英雄」と紹介している。(尚、このナレーションは日本語訳されているので、もしかしたら、原文とはニュアンスが違っているのかもしれないが、手許に原文がないので、この日本語訳をそのままで解釈するしかない。)何気なく聞いてしまうと、このナレーションがいう「パウエル社の陰謀」は「国防長官を殺してまでもデータ改竄の事実を隠し通しエアガード導入を決定させようとしたこと」だと言ってるように受け取れる。パウエル社の陰謀に暗殺も含まれているのだ。(実際、暗殺事件の真相はその通りなのだが。)だが、もしそうなら、それは、暗殺事件の真相についてはかなりの部分が公にされたことを意味する。つまり、私が今まで述べてきたのとは逆に、主人公や女社員が暗殺事件の真相について沈黙しなかったことを意味する。

だが、同じナレーションは、「テロリストの国防長官暗殺の動機となったエアガードの導入を決定付けたパウエル航空の陰謀(データ改竄)」と言うふうに聞くこともできる。この解釈なら、パウエル社の陰謀に暗殺は含まれない。ナレーションの言う「パウエル社の陰謀」とは、単に、データ改竄をして不正にエアガード導入を押し進めたことだけになる。これならば、暗殺事件の真相は、世間一般には明かされておらず、だから、主人公や女社員が沈黙を守ったということができる。
私は当然、後者の解釈を取る。

その根拠となるのが、先にも書いた、物語の最後に登場する「パウエル・ミレニアム」の建設の場面だ。改竄事件ならまだしも、国防長官暗殺に関与した会社(たとえ一部の社員が独断で行ったことだと言い逃れたとしても)が、社名を大々的に掲げて「ミレニアム」を建造することが可能だろうか? 私が思うに、そんなことは社会が許さないはずだ。しかし、「パウエル・ミレニアム」は現に建造されている。このことは、つまり、世間が、暗殺事件にパウエル(社)が関与していたことを知らないことを意味している。だから、問題のナレーションは、「国防長官の暗殺事件の引き金となったエアガード導入には、パウエル社のデータ改竄という不正があり、その不正をただそうとし、殺されそうになった女社員を救った英雄…」というふうに、解釈するのが自然なのだ。


■スネーク・フィート(蛇足)■

【中佐はなぜエレベータでやり過ごしたのか】
捕まえようとしていた女社員と同じエレベータに乗った中佐は、なぜ、その場ですぐに女社員を捕まえなかったのか? 中佐は、女社員を捕まえたかったが、主人公(警察)には引き渡したくなかった。引き渡せば、改竄事件が発覚してしまうからだ。中佐は、女社員の口を封じるため(つまりおそらく殺害するため)に、彼女を追っていた。だから、もし首尾よく女社員を捕まえたとしても、中佐は、表向き、女社員を捕まえられなかったことにしなければならない。エレベータには大体監視用カメラがついているものだから、もし、そんなところで、中佐が女社員を捕まえたりしたら、こっそり口を封じる(殺す)ことが出来なくなる。監視カメラの映像は誰が見ているかも分からないし、録画されていることも多い。主人公がモニタールームで見ている可能性だって十分にある。どっちにしろ、中佐が女社員を捕まえた映像があるのに、女社員を主人公(警察)に引き渡さなかったら、きっと問題になるし、妙な疑いをかけられるのは間違いない。だから、敢えて、エレベータの中では、女の存在に気付かなかったふりをして(中佐は女社員の顔や姿を知らないと主人公に思われているので、あとで、そばにいたのにそれが彼女だとは気付かなかったと言えば、その「言い訳」は充分通用する)、人目につかない個室で、こっそり捕まえてどうにかしようとしたのだ。(あとで、主人公が女社員に先に接触したことに気付いて、慌てて銃を構えて部屋に乗り込むが、あれはきっと中佐にとって、予想外の展開だったのだろう。なぜなら、中佐にすれば、主人公は、赤毛の女とよっぱらいを探していたはずだからだ)

【中佐の自殺】
中佐は、女社員を追い回し、挙げ句の果てに、その姿をテレビで生中継されてしまっている。これが、彼の改竄事件への関与を、世間に対して、決定的に知らしめることになる。「なぜ、中佐は銃を構えて、女社員を追い回していたのか?」「中佐は、改竄のことを知っていたからだ」と。

追いつめられた中佐は、女社員を追い回していた理由を、一旦そうしようとしたように、暗殺事件の容疑者だからだと言えば、うまく切り抜けられただろうか? ダメだ。パウエル社の社員を、本気で国防長官暗殺事件の容疑者呼ばわりするのは、改竄事件と暗殺事件を結びつけることになりかねない。

結局、中佐は、あの追いつめられた場面で、女社員を追い回していた理由を、上手く説明(言い逃れ)出来ない。だから、自殺して、暗殺事件が、本当は改竄事件の発覚を防ぐために行われたという証拠を全て消し去ることが、あの情況での彼の最善の選択だったのだ。
(もちろん、シンプルに、追いつめられてパニック状態になり死んだ、と考えてもいい)

【スネークアイズ】
スネークアイズとは、あるサイコロゲームでの親の一人勝ちを意味するらしい。中佐は自殺し、主人公も汚職刑事として、仕事と家族と愛人を失い、共にゲームには「負け」た。ということは、何の罪にも問われなかったカジノオーナー、パウエルだけが「勝ち」残ったということだ。そう、「親の一人勝ち」=「スネークアイズ」だ。
だが、コンクリートの柱に、赤い指輪が見えているという事実は、このあと、全てが明らかになり(赤い指輪を掘り出そうとして死体を掘り出してしまうだろう)、「勝った」はずのパウエルさえ、「負け」てしまうだろうことを暗示している。

【海賊の話】
主人公が最後に話す海賊の昔話の、ニセモノの灯台の光に騙され暗礁に乗り上げてしまう船というのは、目につく事実に惑わされて、その裏に隠された真相を知ることのない我々のことをさしているのだろうか。これについては、突っ込んで考えなかったので、実際のところよく分からない。

【ボクサー】
ボクサーはどうか? 仮に八百長が暴露されたとしても、ボクサーは、カジノの借金棒引きを条件に八百長をした言えば、それで通る。面倒な暗殺事件に関わりたくなかったら(また、関わりたくはないだろう)、借金の棒引きを条件に八百長をしたと言い通すはずだ。実際、そうなんだし、それ以上余計なことは言う必要はない。

【血まみれのドル紙幣】
ビデオルームに落ちていた血まみれのドル紙幣の意味は、血塗られた金をお前は選ぶのかという、まさにストレートな(ある意味ひねりも何もない安易な)、あの場面の主人公の心理描写だ。
主人公が人にあげたはずのあのお金が、主人公が決定的な証拠を見つけたあの場所に落ちていたことから、主人公と女社員以外に、「真相を知る第三の男」がいる可能性を指摘していた人がいたが、それは違う。あのお金は、主人公がポケットからタバコを取り出したときに彼のポケットから落ちている。良く見ていれば、一旦、テレビ局の友人に渡したこの金は、ビデオルームの場面の直前、単独インタビューのお礼の5000ドルと一緒にオマケとして、主人公の内ポケットに(なかば無理矢理)返されているのが分かる。「真相を知る第三の男」などいない。


■あとがき■
『スネークアイズ』をとことん深読みすれば、これくらいは行けるが、多分、それは、デ・パルマを買いかぶり過ぎている。デ・パルマの作品は、観れば分かるが、どれも、「頭」だけで作ってあるから、いくら謎めかしていても、2、3枚めくると、もう、何も出てこない。だから、上に書かれたことは、殆ど「隠された謎の捏造」だ。

感心はされても感動はされない。
観た者を饒舌にはするかもしれないが、黙り込ませることは決して出来ない。
私にとって、デ・パルマは、そういう映像作家だ。



2003.11.25


©  Annatto Shiquiso

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