「純情パイン」について
かつて週刊少年ジャンプに連載され、あっという間に連載打ち切りになった作品だが、妙にツボにハマって単行本まで買ってしまったので、何がそんなによかったのか、書いてみる。

大概の読者はそうだろうが、私の場合も漫画を読むのに作者の名前や素性など少しも気にかけない。ページを開いて、キャラクターを見つけていきなり読み始める。漫画ほど、作者がないがしろに、あるいは無視される表現形態も珍しい。漫画は徹底的に作品至上主義だ。作者の「名前」だけでは決して売れない。昔の作品のリメイクが流行るのはここに理由がある。実際、長年愛読していて作品名は知っているのに、実は作者の名前は知らないと言うことが、特に漫画の場合は多いような気がする。

この「純情パイン」もそうだった。連載されていたのが少年誌だったので、作者はずっと男だと思いこんでいた。作者が男だと思いこんでこの作品に触れると、妙な違和感に襲われる。連載中はずっとこの違和感を楽しみながら、コンビニで立ち読みしていたわけだが、違和感の原因は分からないままだった。で、いきなり連載がうち切られ、謎は謎のまま残った。考えてみてひとつ分かったことは、あれは普通の男の感性では描けないと言うこと。例えば、過去に何かものすごくつらい目に遭った男が描き出すような世界と言おうか、嵐にあって帆が引きちぎれたまま海上をさまよう船のような心情の男が描く世界のように思えた。つまり、一度「終わった」男が何かの弾みで描いているような世界に思えた。

作者が女だと気付いたのは、単行本を買ってカバー裏の写真を見たときだ。が、写真を見たときも最初は、女みたいな奴だなと思っただけで、表紙の作者名を改めて確認して、あれ?もしかして女か?とようやく気付いた次第。

作者が女だと分かると、違和感の謎がいっぺんに解けた。
改めて読み返してみる。なるほど、女の世界だ。女が見ている世界だ。この「笑い」の質は女のものだ。

小学校や中学で、女の子だけのグループがあり、そのグループ内で「笑い」を受け持っているような子がいる。もちろん女の子だ。女の子達の間では、その子の言うこと、やることは、面白いと言うことで、意見が一致し、人気もある。が、男の自分が見ると、何が面白いのか全然分からない。少しも面白くない。その女の子の姿が、ただ奇妙に映るだけだ。その奇妙さが、面白いと言えば面白いが、周りで喜んでいる他の女の子は、その子の言動を直に面白がっている。非常に不思議な体験だが、これは一般化できるものだと思う。

その当時は理解できなかったが、これはつまり、女と男ではそもそも世界の見え方が違っているということの、具体的な証拠、実例なのだ。

「純情パイン」には、「男には分からない面白さ」が満載だ。
だから、男の私から見て、単純に「面白い」と言えるものは少ない。むしろ、いわゆる「引いてしまう」場面ばかりだ。それでも男である私がこの作品を楽しめるのは、そこに、女と男の笑いの質のズレ、つまりは世界の見え方の違いを見るからだ。この「ズレ」の面白さはなかなか他では味わえないものがある。だが、この二段構えの面白さは子供には分からない。打ち切りなったのは結局そのためだろう。

この作品の笑いの「毒」は、吸い込んだ瞬間に血を吐いて死んでしまうような劇症性ではない。弱いが確実に人を病気にする放射線のように、自覚症状を与えないまま、体の深い部分を致命的に破壊する。

2001.08.16


©  Annatto Shiquiso

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