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【注意】
まだ『マルホランド・ドライブ』をご覧になっていない方は以下の文章は読まないことをお勧めする。
【前置き】
デビッド・リンチの作品に特定の意味を与えようとすることは、無意味だ。が、リンチファンは皆、彼の作品の「解釈」が大好きだ。「解なし」が解であるようなリンチ作品に「挑む」のが、リンチ作品の楽しみ方の一つなのは間違いない。
【ベティとリタの物語】
未来が過去を制約する、あるいは、未来が過去を規定する「面白さ」を、『Fire Walk With Me』で知ったリンチは、本作『マルホランド・ドライブ』でも、この「歪んだ時系列」を作品の中に持ち込んでいる。
本作は、前々作『ロスト・ハイウェイ』以上にショッキングなストーリー展開だが、時系列の「歪み」は、逆に小さい。『ロスト・ハイウェイ』では、時系列は錐もみ状態で疾走して行くために、論理的な因果律はどこかにはじき飛ばされてしまっている。
観客が論理的な解釈の根拠を置こうとした箇所が、ことごとく「反転」するために、いつまで経っても論理的結論には到達できない。ちょうど、抜け穴、回転する壁、落とし穴満載の忍者屋敷に迷い込んで、いつまでも外に出られないような状態だ。
『ロスト・ハイウェイ』では「実際には誰が何をしたのか?」がほとんど答えられない。
だが、本作『マルホランド・ドライブ』の場合は違う。
「現実に」何があったかは、とても分かりやすい。
すなわちこうだ。
1.ダイアンという、女優志願の娘が、トロントのジルバ大会で優勝する。
2.彼女は、叔母の遺産を手に入れ、ハリウッドに出てくる。
3.ロサンゼルスまでの道中で、親切な老夫婦と知り合いになる。
4.映画の主役をカミーラ・ローズに奪われる。(とダイアンは思っている)
5.カミーラと、性的な関係を持つほどの関係になるが、女優としては成功しない。
6.ダイアンは、新鋭監督と結婚することになったカミーラに捨てられる。
7.ダイアンはパーティに招かれ、カミーラから屈辱的な扱いを受ける。
8.ダイアンは殺し屋に、カミーラ殺害を依頼する。
9.カミーラの死を知ったダイアンは、精神的に追い込まれ、自殺する。
以上だ。
では、物語冒頭の交通事故から、リタがブルーボックスを開けるまでの、アレは何なのか?
仮に、それを「ベティとリタの物語」と名付けよう。
「ベティとリタの物語」は何なのか?
ダイアンの夢だとする解釈が、もっとも一般的で受け入れやすい。
が、本当は違う。
あれは、「眠っている」ダイアンが見ている夢ではない。
カウボーイに「目を覚ます時間だ」と言って起こされるダイアンの姿が物語の後半、つまり、リタがブルーボックスを開けた直後に描かれているために、そう思いがちだが、それこそがリンチが用意した「罠」なのだ。
彼女の表情や、何週間も姿をくらませていたことから推測すると、あの時点で、ダイアンはカミーラ殺害をすでに依頼してしまっている。(ほとぼりが冷めるまで、あるいは忌まわしい殺しが行われる場所から出来るだけ遠ざかっておくために、どこか余所にいたのかもしれない。)上の箇条書きで言えば、8と9の間のことだ。
結論を言おう。
「ベティとリタの物語」は、ダイアンが死んだあとに始まるのだ。
思い出してほしい、ベティは誰とロサンジェルスにやって来たか?
そう、あの親切な老夫婦だ。
そして、ダイアンは最後に誰を見たか?
そう、やはり、同じ親切な(恐ろしい)老夫婦なのだ!
ベティと別れたあと、車内で妙にはしゃぐ老夫婦の不気味さを思い出してほしい。
あの老夫婦が、「現実に」ダイアンが出会った老夫婦がモデルになっているのは間違いない。が、ダイアンを自殺に追い込む彼らが、ダイアンが実際に会った老夫婦と同じ存在だと言うことはないだろう。
「ベティとリタの物語」が、ダイアンの「夢」ではないのは間違いないが、その「世界」はダイアンの「願望」に強く影響されている。役柄に微妙な変化はあっても、主要登場人物は、全員、ダイアンが知っている者達だ。更に、ダイアンの、それぞれの人物に対する情報の多寡が、そのまま、役柄の変容に大きく影響している。分かりやすく言えば、ダイアンがよく知らない人間ほど、「ベティとリタの物語」のなかでは「現実離れ」した人物として登場するのだ。
拳銃で自殺したダイアンは、謎の老夫婦に導かれて、死者の世界とはちがう、ただ「そっくりだが、こことは違う別の世界」と呼ぶしかないような場所にやって来る。それは、ダイアンの願望が強く反映された世界だ。そこでは、ダイアン自身が殺害を依頼したカミーラも、なんとも幸運な「事故」により、生き延びている。ただし、この、生き延びたカミーラは、ダイアンの想像の産物ではなく、やはりカミーラだと言う点が重要だ。カミーラが記憶喪失なのには訳がある。一つには、その方が、ダイアンに都合がいいから。もう一つは、カミーラが、実は、訳も分からず殺され、死んだ後も、無理矢理にダイアンの「世界」に引き込まれてしまった「さまよえる死者の魂」そのものだからだ。
死んでベティとなったダイアンの魂は、この「別の世界で」自らの願望を次々に実現させていく。スター女優へのチャンスをつかみ、新鋭監督との恋の予感を感じ、更に(願望としてはこれがもっとも強いのかもしれない)カミーラと同性愛関係を持つ。
ベティが、リタにダイアン(髪は黒いが、それは、ダイアンが、カミーラとの立場を入れ替えたいという願望をもっていることの現れだ)の腐乱死体を見せることになるエピソードは、つまりは、ダイアンのカミーラに対する怨みの現れであると同時に、ダイアンが自分の悲しさ・苦しさをカミーラに分かってもらいたいが為の行為である。
ともかく、ベティがリタと関係を持った時点で、「ベティとリタの物語」は終焉を迎える。
なぜか?
それから先の「幸せな展開」をダイアンの魂が「知らない」からだ。
「ベティとリタの物語」を構築しているダイアンの魂は、物語をそれ以上先へ進めることが出来ない。後はむしろ「落ちていく」だけである。
そこで、ダイアンの魂に迷いが生じる。
その迷いが、カミーラの魂を縛り付けていた力が弱め、リタ(カミーラ)は、ダイアンの魂に拘束されていない別の世界(死の世界)からの呼び声を聞く。
それが、クラブ・シレンシオだ。
夜中に、クラブ・シレンシオに出掛けた二人は、そこで、「現実」つまり自分たちが既に「死んでいた」ことに、心の深い部分で「気付く」。あるいは「思い出す」。
ベティ(ダイアン)は戦き、リタ(カミーラ)は泣く。
最後には、二人とも泣き女の歌を聴きながら泣くことになるのだが、これは彼女たちが、意識にのぼらない深いところで「現実」を「知ってしまった」ことを意味する。
クラブ・シレンシオで、ダイアンの魂は諭され、慰められる。
カミーラの魂も同じだろう。
潮時は来た。
劇場で、ベティ(ダイアン)にブルーボックスが(知らぬ間に)渡される。
ベティ(ダイアン)にはその「意味」が「分かる」。
部屋に帰り、ベティ(ダイアン)はブルーボックスを残し消える。
ベティ(ダイアン)は、自ら進んでこの「世界」に留まっていた存在だから「立ち去る」ことも容易だ。
問題は、リタ(カミーラ)の方だ。
彼女の魂は、殺され、無理矢理に引き込まれたのだ。
カミーラの魂は混乱している。
彼女の魂を「救う」には、手助けがいる。
それが、ブルーキーであり、ブルーボックスなのだ。
あとはリタが、ブルーキーを使ってブルーボックスを開けるだけである。
ブルーボックスの中は、「死の世界」へと繋がっている。
ブルーボックスを開けたとき、捉えられていたカミーラの魂は解き放たれ、ようやく、死の安らぎを迎える。
『マルホランド・ドライブ』は悲しい物語だ。
【間抜けな殺し屋】
ダイアンは、二度カミーラを殺そうとした、とも考えられる。
物語の冒頭で、次々と電話が中継されていく場面がある。
「女はまだ見つからない」
連絡の趣旨はそれだ。電話は次々に中継され、最後に誰も出ない電話に行きつく。
その時点ではそれが誰の電話かは分からないが、物語の最後近くで、その電話のある場所がダイアンの部屋だと分かる。
「見つからない女」は、カミーラであるらしいことは間違いない。
では、なぜ、ダイアンにカミーラの居所を知らせる必要があるのか?
また、大物女優であるはずのカミーラの居所が普通の状態で「分からない」などと言うことは有り得ないので、何らかの理由で、カミーラが姿を消したことが考えられる。
何らかの理由?
そう、上で述べた「ベティとリタの物語」のうち、カミーラ殺害失敗の原因になった交通事故は「現実」に起きたのかもしれないということだ。
そうすると、間抜けな殺し屋のエピソードにも「意味」が出てくる。
あのエピソードも「現実」なのだ。
つまりこうだ。
カミーラ殺害を依頼したダイアンは、その失敗を知り、再度、殺しを頼む。
それが、あの間抜けな殺し屋だ。
間抜けな殺し屋は、同業者の事務所へ行き、カミーラ殺害失敗の理由(交通事故)を聞き、大笑いし、相手を殺し「黒い手帳」を手に入れた後、それをダイアンに知らせる。
(死んだ後のダイアンの世界で、交通事故でカミーラが生き延びたという「設定」をダイアンが設けるには、死ぬ前のダイアンがそれが「現実」にあったと「知っていた」と考える方が無理がない)
間抜けな殺し屋が、「ヨレヨレのブルネットの女」を探している場面は、そう考えると意味がある。間抜けな殺し屋は、まだダイアンが生きていた「現実の世界」で、カミーラを探していたのだ。
そして、ついには、(描かれてはいないが)事を成し遂げる。
ダイアンのもとに青い鍵が届いたのがその証拠だ。
すると、上の「ベティとリタの物語」のうち、この間抜けな殺し屋が登場するエピソードは全て、「死んだ後のダイアンの世界」とは別の、「現実の世界」ということになる。
間抜けな殺し屋が動き回っている世界では、まだ、ダイアンもカミーラも生きている。
【ミスター・ローク】
アダム・ケシャーの映画に、高圧的に干渉してくる謎の組織は何か?
彼らは、現実のカミーラとは別人のカミーラを主演女優にするようにアダムに迫る。
(ちなみに、この別のカミーラは、現実の世界のパーティ会場で、ダイアンの見ている前でカミーラとキスを交わす女に似ている。それにより、ダイアンはカミーラに二股(アダムを入れたら三股)をかけられていた事を知る)
アダムは、自らの意志に反して、(本当はダイアンに惹かれながらも)この組織からの圧力のために、カミーラ・ローズを主演女優に選ぶことになる。
これは、認めがたい現実に対するダイアンなりの、かなり非現実的な「理解」だ。つまり、「なぜ自分ではなくカミーラという女が選ばれたのか?」と言う問いに対する、一種の「弁明」だ。実力ではない。謎の組織の圧力により、私(ダイアン)ではなく、カミーラが選ばれただけなのだ。と、彼女(ダイアン)は思いたいのだ。
で、ミスター・ロークだ。
彼は何者なのか?
ダイアンの中でも、彼の存在は不可解だ。なぜなら一度もあったことのない人間だからだ。
面白いのは、観客の大半は、ミスター・ロークを演じている俳優が、実は小人症で、本当は小さい人間だと言うことを知っている。(彼は「赤い部屋」の「別の世界から来た小さな人」なんだ!)。その、小さいはずの彼が、普通の背丈の人間として、椅子に座っている。
ミスター・ロークは、つまり、二重の意味で、架空の人物なのだ。『ツインピークス』を体験した観客としての我々は、彼が、本当の彼ではない事を知っている。ミスター・ロークという役が架空であるばかりでなく、そのミスター・ロークとして登場する、彼の「一般的な体格」を備えた姿そのものが、既に架空に属していることを知っているわけだ。更に、ミスター・ロークは、椅子に座ったまま、動くことも出来ず、辛うじて僅かな言葉(それもほとんど意味をなさないような言葉)を吐くだけの存在だ。手下の報告に判断を下しているのかどうかも定かではない。
つまり、ミスター・ロークは限りなく「虚構」なのだ。
いてもいなくても同じという意味ではなく、ある出来事が起こるとき、その中心には、誰かがいるのかもしれない。その「いるかもしれない誰か」がミスター・ロークだ。本当は、そんな誰かはいないのかもしれない。が、いてもおかしくない。いるはずだ。しかし、そんな誰かはいるはずがない…。そう言った、果てしない堂々巡りの行きつく先に微かに「感じられる存在」が、ミスター・ロークだ。
「ある意志」と言ってもいいかもしれない。
よく見えない、はっきりと認識できない「ある意志」。それが、ミスター・ロークだ。
言うまでもなく、ミスター・ロークは「死んだ後のダイアンの世界」の登場人物だ。
【マルホランド・ドライブ最大の謎】
『マルホランド・ドライブ』最大の謎は?
ブルーボックスを持った黒塗りの男?
違う。
彼(もしかしたら彼女?)は、別の世界の管理人であり、門番であり、象徴だ。
そう「難しい」存在ではない。
散々考えても分からないのは、あいつだ。
そう。眉毛の男、ダン。
彼は何者なのか?
なぜ、黒塗りの男の夢を二度も見たのか?
なぜ、黒塗りの男に会ってしまったのか?
そして、なぜ、死んだのか?
彼は、ダイアンを救うことが出来た人間なのか?
彼は、ローラにとってのクーパーなのか?
ダイアンとの関係は?(ダイアンが殺しを依頼する時に目は合っている)
彼は現実の存在なのか?
それとも「死んだあとのダイアンの世界」の存在なのか?
分からない。
分からない。
分からない。
(シレンシオ…)
このへんにしておこう。
2002.03.22
© Annatto Shiquiso
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