映画「バットマン」について
ティム・バートンが描くのは常に「そうせずにはいられない」人々だ。世間の常識や、ルールから外れてしまうことが分かっていながらも「そうなってしまう」人々の話だ。何か目的とするものがあり、それに向かって行動するのではなく、ただ「そうなってしまう」存在をそのまま描く。なぜ「そうなるのか」はバートンにとって問題ではない。「そうなってしまう」人々(あるいは存在)の行動が引き起こす、暗さや悲しさやおかしみを描くことが彼のテーマだからだ。生半可な精神分析医が下す診断などどうでもいいことなのだ。彼は作品を作ることで「原因」を見つけだそうとしているのではない。この人達はこんな変なことをしているけど、本当はこんな悲しい過去や傷を持っているんです。かわいそうでしょう?ではないのだ。そうではなく、この人達はなぜかこんな変なことをします。変でしょう?でもそれでいいんです。なのだ。

バートンは、自身の描く奇妙な存在を、ありがちな理由を付けて常識のこちら側に引き寄せるのではなく、非常識で奇妙なあちら側に置いたまま、それでも愛せる存在とみなす。それこそが人間の、あるいは世の中の本質だとでも言わんばかりに。

バートンがバットマンに惹かれる理由もそこにある。ブルース・ウェインのような「立派な」人間が夜な夜な蝙蝠の格好をして悪者退治に出かける。資金をつぎ込んで高度な武器や装置を開発する。誰も頼んでもいないのに。変じゃないか!理由が分からない。正義のため?慈善事業?トラウマ?すべて「ノー」だ。ブルース・ウェインは「そうしてしまう」のだ。もちろん作品中でも描かれた幼少期のトラウマなどの後付の理由はいくらでも考えつく。でも本当の本当は理由などなく「そうしてしまう」のがブルース・ウェインなのだ。バートンはそう思っている。そしてそう言う存在に惹かれる。愛おしいと思ってしまう。

一言で言ってしまえば呪われた存在、それに惹かれるのだ。

悪役であるジョーカーやペンギンがどんなに奇妙な行動をとろうとも、そこに野心や復讐といった目的があるかぎり、絶対にバットマンの存在そのものの奇妙さには勝てない。ジョーカーやペンギンは彼らがそうである理由がはっきりしている。彼らも奇妙な存在であることに変わりはないが、彼らは選んで自らそうなったのではない。その意味で言えば、彼らも呪われた存在だと言えるが、彼らの奇妙さは全て生い立ちや境遇に根を見ることが出きると言う意味で、常識のこちら側に来てしまう。彼らは自らの境遇を呪い、その続きで世界を呪う。彼らには理由があるのだ。彼らの行動は奇妙でも、やろうとしていることの本質的な部分は至極当たり前の、理解できる範囲に収まる。ジョーカーはマフィアの本領を発揮しているだけだし、ペンギンは地上の幸せに対する復讐だ。

しかしバットマンは違う。ブルース・ウェインはどう考えてもバットマンである必要はない。大金持ちが自らマントを翻して、悪人退治をする理由は全くないのだ。金があるのなら警察組織に装備や資金を提供すればいいだけのことだからだ。つまりジョーカーやペンギンは行動の表層的部分が奇妙なだけなのに対して、バットマンは存在自体が奇妙なのだ。変なのだ。その意味で、作品中の誰よりもバットマンつまりブルース・ウェインが「重症」だ。バートンはそのことに気付いた。一番奇妙で変なのはバットマンなんだと。だからこそ、バートンは「バットマン」を撮った。ブルース・ウェインという呪われた存在を描くために。

ジョーカーやペンギンの「派手な」奇妙さに目を奪われがちだが、バートンが本当に描きたかったのはバットマンすなわちブルース・ウェインの「そうなってしまう」存在の不思議さ、おかしさ、悲しさ、なのだ。しかしそれは注意深く観ていないとなかなか分かりにくい。原作があり、その原作に多くのファンがいる作品だけに、主人公をそうそう自分のイメージ通りに描くことは出来なかったためだろう。(それでも多くの原作ファンには不評を買ったらしいが)

そこでバートンは別のキャラにその思いを注ぎ込んだ。キャットウーマンだ。彼女なら主人公ではないので、大胆に自分の思いを反映させることが出来る。そしてそれは見事に成功した。キャットウーマンにはなぜそうしてしまうのかと言う理由が本人にも分からなくなっている。自分を殺そうとした男への復讐?どうやらそこに行きつきたいらしいのだが、行動が支離滅裂になる。なぜ猫の格好なんかしてるんだろう?なぜバットマンと戦ったりするんだろう?しかもマスクを脱いだら普通に社会生活をしてしまう。もう何がなんだか分からないけど「そうなってしまう」のだ。キャットウーマンを見ると、バートンが何を愛して、何を描こうといているかがよく分かる。

キャットウーマンを手がかりに、主人公バットマンを深く観察すれば、バートンが意図したこの作品(シリーズ)の本質が見える。

その意味で、バートンが監督を離れた第3作以降は全く別物だ。あれはただのアクションヒーローものでしかない。ブルース・ウェインのトラウマがわざとらしく描かれるが、そのことで、かえってバートンが描こうとした呪われた存在としてのバットマンは消えてしまう。暗い過去を背負い悪と戦う正義の味方という分かりやすい存在になってしまうのだ。悪に対する復讐だ。バットマンつまりブルース・ウェインを覆っていた奇妙な雰囲気はすっかり消えている。彼にはすでに明確な理由があるからだ。

単純な、過去の傷の痛みや、復讐や、悲しみのさらに向こうにある何かを描いたことでバットマンの初期2作は優れていた。3作目以降にそれはない。ツーフェイスやリドラーの馬鹿騒ぎも空しいだけだ。

2001.06.17

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