【人間の不幸】

自分が生きていることに気付くというのは、生物にとってとても危険なことだ。生物は、生きていることに無自覚なほどいい。自分が生きているということを、アタリマエ以上にアタリマエだと思う。"思う"というか、そういうことすら考えつかないくらいアタリマエの状態でありつづけることが、生物にとっての理想だ。

その点、人間は不幸な生物だ。人間は、自分が生きているという"アイディア"にあまりにコダワリ過ぎる。だから、生物としての自分にとって本質的にどうすることもできない"自分自身の死"というものに、過剰に反応するし、無意味にアレコレ悩む。挙げ句の果てに、"生き方"の選択肢のひとつに"死"を入れてしまうことさえある。自覚的な自殺をする生物は、つまり、自分が死ぬと分かっていてあえて自分を殺す生物は、この地球上では人間だけだ。人間以外の生物は、自分が生きているとは思っていないから、自分の死などもちろん想像すらしない。

人間以外の生物にとって、自分が存在することと自分が生きていることはイコールだ。さらに、自分が存在していることと世界が存在していることもイコールだ。だから、自分の存在と世界の存在と自分が生きていることが、がっちりと結びついている。彼らは常に世界と共にある。実に健全だ。

けど、人間はそうじゃない。自分がいずれ必ず死ぬ存在であることを自覚している人間は、自分が生きていることと自分が存在することをイコールにしない。自分が存在することと世界が存在することもイコールにしない。生きていることをいずれあきらめなくてはならないことを知っている人間は、生物の基本中の基本、大原則である"生きている状態"というものの重要度を下げて、やれ永遠の魂だ、死後の世界だと、自分自身に嘘をつくことで、日々を生きつなぐ。憐れなことだ。

生物にとっての一番の不幸は、"どうあがいても最後はみんな死ぬ"というアタリマエの事実を知らされることであり、人間は不幸にして、その事実を理解するアタマは持つくらいには進化してしまった。

(2008年7月8日火曜日)

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