夢は時間を裏切らない

歌詞の方も、台詞の方も、問題になってる部分の前後がどういうふうなのか俺は知らない。だから、この部分だけを読んでみたときの、受け取れるニュアンスの違いを書いてみる。この部分が問題なんだから、それでいいだろ?

(槇原敬之の歌詞)
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」
時間さえあれば、夢は実現する。
夢を手放さなければ、時間が必ずそれを叶えてくれる。

→夢と時間を人格化し、そのお互いが支え合って、夢をゴールさせること(実現させること)を言っている。つまり、時間の歩みがどんなに遅くなっていても、進み続ければ、熱く燃える夢は必ずゴールにたどり着くし、逆に、夢が消極的になって消えそうになっているときにも時間は忍耐強く前進を続け、夢をゴールに運んでいくれる。

この歌詞は、歌い手が夢を現に持ち続けている、これからも持ち続けていようとしている状態だ。だから、時間があれば、俺は(私は、僕らは)この夢を実現できる。与えられた時間の、その〈期待〉に、俺の(私の、僕らの)夢は答えることが出来る、と言っている。そして、更に、俺の(私の、僕らの)持ち続けている夢を実現するだけに必要なチャンス(や期間)を、時間は必ず与えてくれる、とそう歌っている。夢を持ち続けることへの全肯定しかない。


(『銀河鉄道999』の台詞)
「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」

時間をかければ夢は叶う。だから、夢を時間から取り上げてはいけない。つまり、夢を(時間的な中途で)あきらめてはいけない。

→こちらも、夢と時間を人格化している点は同じ。けど、こちらの台詞は、語り手が、夢を持ち続けるかどうかが、はっきりしていない。はっきりしていないというか、夢を持ち続けることへの否定に対する反駁のようなニュアンスが含まれている。つまり、否定に対する否定。上の歌詞では、歌い手は、夢を現に持ち続けていて手放すつもりなどさらさらない状態だが、こちらの台詞の語り手は、夢を手放すケースというものをどこかに思い描いている。もっと厳密に言えば、夢を持ちつづける心構えのようなものを、(自分自身へも含めて)訴えかけている。時間という、人間を離れた摂理のようなモノは、人間の心の働きである夢というものを絶対に裏切りはしない。つまり、時間をかければ、公平不偏の時間というものは必ずそれに答えてくれる。だから、夢を叶えるかどうかは、夢の側(夢を持ち続ける人間の側)の問題だ、どうする、俺(あんた)? というスタンスだ。

というように、全然、ニュアンスは違う。字面は似通ってるけど、ニュアンスはまるで違う。180度違うとは言わないが、文章を売って飯食ってる人間達にとっては決定的に違うと言っていいほど違う。

ていうか、「時間は夢を云々」みたいなセンテンスは、これまでこの日本で百万人くらいが、思いついたり書いたりしてきているよ、きっと。ちょっと気の利いたヤツなら、すぐに思いついたり、たどり着いたり、出くわしたりするもんさ。それをさ、自分一人の発明みたいに、俺のだ、俺のだ、騒いでみっともねーぜ。
松本零士よ、あんまりごねてると、宮沢賢治が化けて出てくるぜ。金の問題じゃネねえ。クリエイターとしての、懐の深さ、立ち姿の問題さ。


(アナトー)2006.10.22

HOME