ライブドア騒動を見ていて思ったこと

ライブドアの社長が逮捕されて、テレビの連中はうれしくてしょうがないんだなあ。ゴミの日の朝に、ゴミ置き場にあつまるカラスの群れのようだ。放送を観てると、そう感じる。堀江貴文とその取り巻きが、いわゆる「頭のいい子供」でしかないことは、彼らの行動を見ていればすぐに分かるはずだ。その程度のものかが分かっていれば、今回の事件は別におどろくようなものでもないし、特別騒ぎ立てるようなものでもない。「頭のいい子供」(ライブドア)と「馬鹿な大人」(マスコミ)。俺としては、フジテレビがライブドアに買収されていたほうが、今度の事件はもっと面白かったのになあと思う。あと、ヒューザーとか姉歯とか、あの辺の「偽装」連中はとりあえずホッと一息入れてるんだろうなあ。

もうちょっといろいろ書いてみる。

世の中には、「常識」とか「良識」とか「線引き」とか、そういうものがあって、それは大人の領分に属している。それは、なんとなく「大人」がみんなで守っていこうとしているもので、だから「子供」を相手に「これこれこうだから、俺たちはこうしている」と説明しても、納得させることは難しい。それは「当事者(大人)」になってみて、初めて実感するもので、外から見ると、ただの「穴」に見えてしまう。「頭のいい子供」の集団でしかない堀江貴文とその取り巻きは、結局はそういう「大人」の集団に属していなかった。だから、「大人」たちがあえて手を出さずにいた領域を「穴」だと思い、その「穴」を利用して伸し上がってきた。だが、それは「穴」ではなく、不干渉領域なのだ。「大人」にとって、朝鮮半島の38度線のような非武装地帯なのだ。その場所でコトを起こすと、もっと大きなトラブルに巻き込まれるということを当事者である「大人」たちは予感している。「子供」には分からないその予感があるから「大人」たちはそこに距離を置く。

プロ野球球団を買収しようとしたときも、フジテレビに手を出そうとしたときも、堀江貴文とライブドアは失敗した。「大人」達が強行に反対し、拒否したからだ。「子供」には「大人」と「子供」の違いは分からないが、「大人」には「大人」と「子供」の区別が付く。「大人」と「子供」の違いは、例えばチンポに毛が生えてるとか、そんな見せ掛けのものとは違う。だが、「子供」は毛が生えたかどうかでしか「大人」と「子供」の違いを区別できない。そういう「子供」的な基準で自分達は「大人」だと思いこんでいた「子供」の堀江貴文とライブドアは、だから、なぜ、自分達が拒絶されるされるのかが理解できなかったはずだ。たとえば、ライブドアを打ち負かし、プロ野球球団の買収に成功した楽天との違いは、実は資産的なものや経営情況などではない。表面的にはそうかもしれないが、本質的な違いはそこではない。楽天は「大人」だが、ライブドアは「子供」だと、「大人」たちが見抜いていたからだ。平たく言えば、プロ野球みたいな国民的なスポーツのチーム運営を「子供」にまかせるのは嫌だ、と思ったわけだ。

しかし、ライブドアが手を出してきた時のプロ野球やフジテレビは情けなくてみっともなかった。それは、ちょうど、頭のいい子供に詰め寄られて、オタオタする大人の姿そのものだった。「君も大人なんだから、その辺の事情をくんで、わかってくれないか」みたいな、漠然とした、言ってみれば、最後の最後はなあなあな交渉でしかコトを運んでこなかった連中が、そういう物言いが全く通じない相手に面食らって、どうしていいか分からず苛立っている様子がみっともなかった。一流を気取ってる連中の、詰めの甘さというか、出かけるときも玄関に鍵をかけない田舎の家のようなお気楽さ加減に驚いたし、笑った。つまり、なんだ、この程度なのか、と。だったら、いっそのこと、やられちまえ、と。



ライブドアは「虚業」云々という話もある。だが、俺から言わせれば、漁師や農夫と言った第一次産業者以外は、すべて虚業者だ。美容師も本屋も政治家も工場労働者もみんな虚業者だ。食って寝る所があれば、人間という生き物は生きて行ける。突き詰めてしまえば、あとは何も要らない。だが、そうは言っても現代に生きる俺たちにはそれでは不十分だ。それだけではとてもまともな人間の暮らしとは思えない。それは、高度化した人間の意識が、実地の自然体として生きる(存在する)ということを超えて、言ってみれば、既に虚構(幻想)のなかに、生きる存在になっているからだ。様々な工業製品やサービスがあってこその現代人間社会。現代の人間社会は虚業社会なのだ。

つまり、ライブドアが虚業だから問題なのではない。一流を気取ったプロ野球業界やフジテレビに代表される「大人」達が、自分達の虚業性に全く無自覚で、より先鋭化した虚業集団からの浸食に、まったく無防備だったことに問題があるのだ。ライブドアは、より先鋭化したプロ野球業界でありフジテレビなのだ。ライブドアとの違いは、いわゆる五十歩百歩でしかないのに、その五十歩の差を、決定的で本質的なもののように捉えて、安穏と構えていた所が問題なのだ。同じ根から生えている別の竹でしかないという自覚がなかったところが問題なのだ。一流を気取るなら、自分達が、ああいう事態に陥ることは十分に予測していなければならないし、「これをやられたらどうもまずいことになる」と分かっていたのなら、未然の処置を施しておかなければならない。自分達の業界や会社の価値や意義は社会的に認められているのだから、うっかり裏口が開いてたとしても、社会的な非難や制裁を気にして誰もちょっかいは出さないだろう、などと考えるのは思い上がりの脳天気だ。球遊びの業界や、テレビ局の一つや二つダメになった所で、日本の社会(生活者の場所)がどうなるわけでもない。歴史があろうと、社会的に存在価値を認められていようと、虚業はしょせん虚業なのだ。ひとつの虚業が消滅しようとどうしようと、それでオタオタするのは直接的な利害関係にある一部の人間たちだけで、社会全体の構成員(生活者)にとって、その変化は「気分的な問題」という範囲を決して超えない。



これからも、力を持った「頭のいい子供」は現れるだろう。社会が高度化すればするほど、その傾向は強まるはずだ。生身の社会と、虚構としての社会が更に遊離していく中で、その虚構の仕組みから演算処理的に最適な振る舞いを導き出し、それのみで勢力を拡大していく輩がますます増えて行く。そのとき、そういう輩が「大人」である必要はない。更に「子供」である必要すらない。究極、機械でいい。

俺たちが生身の関係性の中にもっている「常識」とか「良識」とか「予感」は、虚構の社会が俺たちの生身から遊離して行くほどに、その有効性を失い、単なる「穴」になる。その「穴」によって虚構社会が破綻することはないが、「組み替え」は起る。そして、今現実に虚構社会の仕組みによって職を得て、生活を成り立たせている俺たちのうち、運悪くその組み替えの現場に居合わせてしまった連中が実害を被ることになる。それを防ぐには、とにかく虚構社会の「穴」を一つずつ埋めていくしかない。生身の俺たちが持っている「常識」や「良識」や「予感」を、虚構社会用にいちいち「変換」して、「穴」を塞いでいくしかない。



今回の堀江貴文の逮捕をはじめとするライブドア絡みの事件には、多分に「見せしめ」的なものを感じる。叩いて埃のでない大企業など一つもないだろうと俺は思っている。国家権力がその気になれば、どんな企業でも「挙げる」ことはできるはずだ。それをしないのは「大人の事情」があるからだ。国家権力と企業の間でなにか具体的な交渉や取り引きがあると言っているのではない(ないとも言わないが)。明文化もされず、かなり流動的ですらある暗黙の了解にそって、国家権力は、いわゆる国益のために、時に目をつぶり、手加減をする。「子供」の堀江貴文とライブドアは、その「大人の事情」を全く無視したか、知らずに無視する結果になってしまった。だから、潰されたのだ。このまま放っておけば、将来的に国益に反すると、みなされてしまったのだ。そう思えて仕方がない。別にライブドアなんかどうなったって俺はいいけど。

(アナトー)2006.01.28

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