寄生されるということ
以前テレビで見た寄生虫と宿主の関係は、なんだか、深遠な感じがしたなあ。蟹とか、蟻に寄生するヤツ、あれはもう、寄生と言うより乗っ取りだよなあ。しかも乗っ取られた方はそれに全然気付かないんだからな。寄生虫に「取り憑かれた」蟹は、脳を支配されて、寄生虫の卵を腹に抱えて、それを自分(蟹)の卵のように世話したり産んだりして、一生を過ごすんだってよ。蟻の方も、「羊の体内に入り込む」という寄生中の目的の為に、ふらふら牧草の先っちょに登っていって、そこで、羊に食われるまでじっとしてるんだってよ。脳を寄生中に支配されてるから、羊に食われようと「努力する」その行為に、蟻の意志は全然入ってないんだって。

で、こういうのを見ると、誰しも思うわけだよ。「この蟹や蟻の立場に人間がなってしまったら、悲惨だなあ」とか「もしかしたら、知らない間に寄生されて、脳をコントロールされてる人間も結構いるんじゃないか?」と。
けど、蟹や蟻に、人間でいうところの「意志」があるかどうかは、甚だ疑問だよ。人間の「意志」というのは「行為に対する理由付け」とほぼ同義だからな。自分の行為に、自分で理由が与えられなかったり、見つけられなかったりしたとき、人間はその行為を自分の意志が伴ったものだとは思わないわけだよ。「俺はなんでこんなことしたんだ? こんなことするつもりは全然なかったのに」てな具合に。蟹や蟻は自分の行為に対して、人間みたいに、いちいち理由付けなんかしてないんじゃないかって思うんだよ。体の動くままに任せて、それで、少しも不具合を感じてないと思うんだ。だから寄生虫に乗っ取られた蟹や蟻は「種」としての機能は失われるけど、それぞれの個体を内側から見た場合、そんなに悲惨でもない気がするんだよ。むしろ、寄生中がうまく騙してるせいで、やるべきことをやってる充実感とかに支配されてるのかもしれない。

でも、これって、人間にも言えるよな。端から見たら、悲惨だったり気の毒だったりしても、その人の内側から見れば、すごい充実感とか満足感でいっぱいな場合って往々にしてある。でもその場合、蟹や蟻と違って、人間には「理由」が要るんだよ。この「理由」の中には「理由なんて要らない」ていう「理由」も含まれるんだけど。要するに、大脳新皮質を納得させなければならない。逆に言えば、人間は、だから、寄生虫に乗っ取られたりしなくても、大脳新皮質を「騙し」さえすれば、端から見たら訳の分からん馬鹿げたことも、当人は凄い生き甲斐と充足感を感じながら取り組むことができる。俺達は、とにかく寄生されやすい存在だってことさ。

(初出 2003.12.07)

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