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カプコン・アーケード・クラシックスに収録された「大魔界村」をクリアした。大昔にメガドライブ版はクリアしたことがある。けど、全然おぼえてない。同じゲームだと見なせば、15年ぶりとか、そのくらいのクリアだ。しかし、相変わらず、ちっともタノシクはない。苦行のようだ。なのに、いつまでもやり続ける。これはどういうことだろうと少し考えた。
最初は全くオハナシにならない状態。何度も挑戦するうちに、どう説明して良いのかわからないが独特のコツを覚えて、まあまあ許せる確率でステージクリアが出来るようになる。だが、それ以上には決してならない。つまり、どんなにコツを覚えても、〈必ず確実にノーミスでクリアできる〉ようにはならない。必ず何度かはミスをする。超絶技巧の持ち主ならともかく、われわれ凡プレイヤーにはとうていノーミスクリアなど不可能。野球でも3割打てれば上出来なんだから、それについては文句はない。問題にしたいのは、ミスをしたときに感じる強烈な理不尽さだ。もっとソフトな言い方をすれば、受け入れがたい「運の悪さ」みたいなものを強く感じるのだ。
「大魔界村」は、前作の「魔界村」以上に、どうしようもない状態や、悪意に充ち満ちた状態に陥ってしまうことが多く、プレイ中に理不尽を強く感じる。人間、理不尽を感じたら、どう反応するか? 心が折れない限り、頭に来て、なんとか、一矢報いてやろうと思うはずだ。この悪意に満ちたゲームがなかなか止められない最大の理由は、プレイヤーの〈怒り〉だ。絶対に〈楽しさ〉ではない。ゲーム中に起きる理不尽を、どうにかはね除け、回避し、ザマアミロと言ってやりたい。その復讐心のようなものが、プレイヤーに「大魔界村」を続けさせる。だから、決して、〈良い〉ゲームではない。その〈たのしさ〉はストレートなものではなく、そうとうに歪んでいるからだ。
なるほど。魔界村シリーズの特徴である理不尽なやられ方が、それを克服したときの歪んだ楽しさ(復讐の達成感)となり、それがプレイヤーを惹き付けているということか。
2009年3月15日日曜日
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