著作権による世界規模の三すくみ状態からの脱出

インターネットが普及した今となっては、著作権に対するこれまでの捉え方、取り扱い方が無効になるのは時間の問題だ。つまりこうだ。誰が判断しても、よく似ている、あるいは基本的に同じモノだろうと、結論するしかないような表現物が複数の人間によって同時に公表される可能性が、インターネット社会では起こりうる。まったく同じメロディを含む楽曲を、世界各国の百人の人間がほぼ同時期にネット上に発表したり、あるいは、非常によく似た展開や台詞を含む小説が、全く関わりのない複数の人間によって同時期にネット上に発表される、ということが起こらないとは言えない。一般的にレコード会社や出版社を通じてしか音楽や小説を発表できなかった時代、それらのメディアを使って自らの著作物を公にできる者以外は、手を縛られ、口を塞がれていたのに等しい。その他大勢の存在が、手を縛られ、口を塞がれていたからこそ、レコード会社や出版社を通じて売り出される表現物が、それを作り出した表現者独自の表現として認められやすかった。もっと言えば、大したことを表現してるわけでなく、本当はそこらへんの人間なら誰でも考えていることや、人知れず日々の生活の一部として表現されていることを、彼(彼女)だけが、CDや本や雑誌掲載の形で公にすることができるというだけの理由で、彼(彼女)こそがその表現の創造主であるかのごとくに、自らの著作権を主張して、自分の利益を守れた時代が、インターネット以前の時代なのだ。だが、これからはそうはいかないだろう。インターネットは、その他大勢の手と口を自由にした。しかも既存のメディアに比べ、インターネットの即時性は図抜けている。誰かが本にしようとしている内容は、とっくの昔に別の誰かによってネット上で言及されていて、誰かのCDの新曲とそっくりのメロディが別の誰かのサイト上にずっと以前から存在していたということが起こりだす。ネット上によく似た小説が掲載されていたことにより有名作家の新作が発売中止に追い込まれる、というようなことも起こり得るのだ。不特定多数の人間が接触することが出来るインターネット上に「公表」されたコンテンツは、実際には全世界的に「無視」されていたとしても、潜在的には、ネットにアクセスできる人間全員に観たり聴いたりされている可能性を持つ。つまり、たとえば、あるプロのミュージシャンが作り出した曲と、非常に良く似たアマチュアの曲が、そのプロ・ミュージシャンがその曲を発表するより以前からネット上に公開されているという事実が確認されたとき、そのプロのミュージシャンが、ネット上に公開されていたアマチュアの曲を「パクっていない」と証明することは、とても難しいということだ。〈常識〉としては、誰もが「パクってない」と言えるのに、客観的に、その「パクってない」を証明できない。するとどうなるか? 双方、特にプロの方がコトを荒立てないようになるだろう。インターネットは、「公表したのはどっちが先なんだ?」と言う問いに対するプロの優位性をなくしてしまった。

CDや本を市場に送り出すことによって表現活動をしているプロが、自分の作品と非常に良く似たアマチュアの作品をネット上で見つけたとしても、そのアマチュアの作品の公表を制限したり、削除を求めたりすることはむずかしくなる。どちらも公にされた著作物であり、どちらの著作者にも著作権を主張する権利はあるからだ。運が悪ければ、苦労して作り上げやっと販売にこぎ着けた作品が、著作権を主張するアマチュアのために、お蔵入りになるかもしれない。するとどういうことが起こるか。誰も、自分の著作権を盾にして、他人の著作物の発表や販売に制限を掛けることが、事実上できなくなる。インターネットの普及によって、それ以前とは比べものにならない数の人間が、自身の著作物(表現)を、ネットを使って公表、公開しているのだ。インターネット社会では、あなたが今作りあげた「オリジナル作品」と非常に良く似た作品が、世界のどこかの誰かによって、既にネット上に発表されている可能性が充分にある。更に、あなたがネット上で公開している「オリジナル作品」を、誰かが「パクって」世界のどこかで商売にしているかもしれないのだ。世界中の人間が、本気で、ある種の偏執狂的な信念でもって自分の著作権を守ろうとしだすと、世界規模の〈三すくみ状態〉が起き、誰も何も発表できなくなってしまうだろう。表現物を発表することをあきらめたくなければ、すべての著作者が、自分の著作権を盾にして他の人間の著作物に干渉することをやめるしかない。つまり今あるような著作権の〈効力〉は完全に失われる。だが、真の表現者にとって、そんなことは問題にならないはずだ。表現者は表現すること自体が目的であり、他人の表現をパクってみたところで、なんのヨロコビもない。著作権を盾に他人が自分の表現の公表に干渉しなくなれば、パクリもオリジナルも自分の表現として公表できる。だが、パクリを自分のオリジナルと偽って表現するのは、偽の表現者だけだ。それは表現者のつもりのただの商売人だ。商売人はパクる。パクれば商売になるからだ。だが、表現自体が目的の真の表現者にとって、パクリは表現じゃないから、そもそもパクリなんかやる理由がないのだ。

2008年9月13日土曜日
(ゲルドルバ27より)

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