ツール・ド・おきなわ 2004
期日 : 11月14日(日)
会場 : 沖縄県 名護市・沖縄本島北部
カテゴリー : 男子国際
距離 : 200km
天候 : 晴れ
『ツール・ド・おきなわ』男子国際200kmレースに、チェブロラピスタ チームの一員として出場。完走タイムリミットぎりぎりの42位。
10月の不調
7、8月は出張続きで全く自転車に乗れなかった。9月から練習を開始して、 市民200km に出ようと思っていたら、チーム監督から、 今年も国際に出してくれると電話があり、プレッシャーの中、 注意しながら2ヶ月で調子を最高に持って行かなければならなくなってしまった。 9月初旬、ゼロからの出発で、初めのうちは練習しただけ調子が上がったものの、 10月に入って頭打ち状態になり、出場したレースの成績はどれもひどいものだった。 思い出してみれば去年も、おきなわ出場が決まるまでレースの成績は大したことはなかったが、 出場が決まってから奮起して、1週間前に実業団石川BR-2でどうにか9位の成績をおさめ、 おきなわも完走できた。しかし今年はいわきクリテは予選落ち、 富士山ヒルクライムもBR-2で39位と、人選を誤ったとしか言いようがない成績だった。 今年こそはスタートしてすぐに切れてチームとしても恥さらしになるのではないか、 という心配がいよいよ現実味を帯びて来た。
準備
10月下旬、富士山ヒルクライムからおきなわまであと3週間。 それまで、短いレースに備えた強度の高い練習ばかりしていたことを反省し、 200km超のLSDを2回やった。強度を上げる練習は通勤時でも十分できた。 通勤帰りには、 家の近くにある標高差30mほどの登りを20往復するインターバル練習をしたこともあった。 レース1週間前、市民200kmに初参加する練習仲間の廣瀬君とリハーサルをした。 このあと疲労が完全にとれたのはレース前日のことだった。綱渡り的ではあったが、 結果的には調整はうまくいった。
レース当日
- スタート いきなりキナン三浦が急加速、他チームのアシスト陣を交えてアタック合戦となった。 逃げには乗らないと決め込んでいるので、ポジションを下げすぎないで静観するのみ。
- 15km 去年きつかった水族館前の坂でも、集団前方に位置していたので余裕があったが、 頂上付近で約20人が逃げかけるので、追走して合流した。 しかし下りに入るとすぐ集団に吸収された。BSアンカーの清水祐輔、ミヤタ綾部らが逃げに入る。
- 25km 今帰仁市街のクランクを抜け、来るべきスプリントポイントへの登り坂に備えて構えていると、 集団の右側からワンカンポが上がって行った。まさかアタックするつもりか、 と思ったら次の瞬間、ギヤをインナーに落として減速。拍子抜けした。 何事もなく登りをクリアすると、なるしま郷右近が逃げに入った。集団は反応せず、 すぐに見えなくなった。ミヤタチームが監督から、逃げはそのまま放っておいてよい、 という指示を受けているのが聞こえた。そこからペースは著しくダウン、 トイレ休憩をする選手が続出。
- 50km 先頭集団との差が7分と知らされる。それでも誰もペースを上げようとしない。 すると立命館の4人が列車を作って引き始めた。ご苦労さんなことだ。 しかししばらくすると向かい風に挫折したのか、シマノ愛三あたりが加わったのか、 立命館は下がって来た。
- 70km 普久川ダムの登りが近づくと自ずとペースが上がる。集団の中程で登りに入る。 勾配が徐々に急になっていくと、じわじわと脚に応える。しかし集団は崩れる気配はない。 前には楽そうに登っているシマノ鈴木真理と、 重そう(でも辛そうではない)に登っているキナン三浦。 チームメイトと「きついなー」と言葉をかわし、頂上を越えた。 チームは5人スタートしたが3人になっていた。
- 100km 辺戸岬付近でバナナを食べる。ペースは速くもなく遅くもない。 しかし逃げグループとの差はぐんぐん縮まって行った。 2回目の普久川ダムの登りで逃げは捕まるに間違いない。掲示版により、逃げはミヤタ綾部、 BSアンカー清水裕輔とポーランドの選手の3人とわかる。
- 125km 2回目の普久川ダムの登りに突入。1回目の状況からして、 ここではかなりの淘汰が起こることが予想された。半分ぐらい登っただろうか、 そろそろきつくなってきたが、まだ集団はばらけていない時だった。 すぐ目の前でチームのエース向川選手が落車、 すぐそばにいたもう一人のチームメイト日隈選手と、ちょっと待とうかと思った。 少しスピードをゆるめたが、なかなか向川選手スピードを上げることができない。 しかたがないので適度なペースであわてず登り始めた。しかし、 この「あわてず」がこの局面ではまずい結果をもたらすことになった。 前には青いシマノジャージが見えていたので安心していたのもまずかった。 それはアシストの大内、土井の2人で、すでに完全にやめていた。 その前にはもう選手が点々としか見えなかった。 落車の直後は、実は必死で踏まなければならないタイミングだったのだ。 先頭はもう決して手の届かない所に行ってしまった。日隈君を連れて先を急ぐことにする。 少なくとも日隈君だけでもゴールに連れて行かなければ、という変な使命感に燃え、 遅い奴は抜き去り、力の残っている奴とは合流し、 小グループを作って頂上補給所にたどり着いた。先頭から2分半と知らされる。
- 135km 意外と差がついていないな、と思ったが、ここから先がトップと大きく差がつく所。 去年は10分も差をつけられて危うくタイムオーバーになるところだったので油断できない。 ここで突然エース向川選手が復帰し、下りに入って集団は10人位になった。 これだけ人数がいれば遅れを最小限に食い止められる(去年はここで5人しかいなかった)。 下り終えるとすぐ急勾配の登りが始まる。キナン柿沼さんからだろうか、 「登りはゆっくり、平地は回して」と指示が飛んだ。 登りはペースを上げると集団がばらばらになってしまうので、 遅い人に合わせてゆっくり走り、その代わり平地と下りは先頭交代しながらペースを上げる、 という戦法だ。ラバネロ米山は登りの引きが強すぎたので、「速すぎ」と注意した。 間もなくセレーノ山根と日大の選手を吸収、集団には他にキナン日置、ラバネロ福士、 YOUCAN鈴木、ポーランド一人、さらに序盤に逃げていたBSアンカー清水裕輔がいた。 チームメイトの向川、日隈を含め皆あまり力は残っていない様子だったが、 平地と下りはスムーズに先頭交代をして、一人で走るよりははるかに速いペースで走っていた。
- 170km 平良では、先頭から5分遅れと知らされる。 残り30kmでタイムオーバーまで10分近く余裕があるが、 ここからの登りではかなりのロスタイムが出ると思われるので安心はできない。 源河に向かう3段坂に入ってすぐ、軽めのギアを回しながら先頭でするする〜と前に出ると、 誰も無理してついてくるものはいない。 「登りはゆっくり」の指示が皆脳裏に焼きついたままなのかも知れない。 私もアタックするそぶりは見せずただ淡々と自分のペースを守っていたが、 次第に差が開いて行った。そこで1段目の登り頂上を過ぎて左カーブに入り、 集団の視界から消えたのを確認するとすぐ、思い切り踏み込んで下りに入った。 2段目の登りに入って集団が再び後方に見えたが、だいぶ差が開いている。 チームカーが来てくれて、最後の補給を受け取る。 またまたチームの「にわかエース」になってしまった。 こうなったらもう、一人でゴールまで行くしかない。 下りに入り、くんじ橋を渡って3段目の登りに入ると、 もう後方集団は見えなくなっていた。
- 185km 毎年のことだが、この坂の頂上手前の500mは本当に辛い。 しかし、応援の人が、30秒前に外人が一人いるから追いつける、と教えてくれた。 下りで追いつけばゴールまでの平地は2人で行けるからかなりペースアップできるはず。 最後の力を振り絞って頂上を越えると、確かにGIANTのジャージがちらっと見えて、 下りコーナーに消えた。このときのために用意した11Tをぶん回して追走すると、 源河の海岸線に出た所でちょうど追いついた。GIANT所属の韓国人だったが、 やはりかなり疲れている様子。52x16Tを踏むのがやっとで、スピードが上がらない。
- 190km 仲尾次漁港にかかる橋の登りでは、GIANTの韓国人は辛そうにしていて前に出てくれない。 しかたがないのでしばらく引き続けると、前方にさらに2人の選手が見えて来た。 捕まえれば4人になってさらに楽になると思うと、力が湧いて来た。 残り6kmまで引きまくり、ようやく捕まえることができた。 序盤に逃げていたポーランド人と、2年前の市民200kmの覇者の、BSアンカー清水都貴だった。 ポーランド人は引こうとしないが、清水は引いてくれた。 残り5kmで現れる短い登り坂は、去年までの記憶よりもはるかに長く感じられた。 さっき連れて来た韓国人はここで切れてしまい、3人になった。 時計はすでに5時間をまわっている。もう優勝者はゴールしているに違いない。 残り3kmでポーランド人も先頭交代に加わってくれた。残り1km。 順位を争うスプリントをする気はなさそうなので、私は前で引き続けたままゴールした。 5時間11分だった。
1位 WONG Kam Po 香港 4:58:08 2位 福島 晋一 BSアンカー +00:21 3位 Erker JACOB カナダナショナルチーム +00:23 42位 宗政 昭弘 チェブロ・ラピスタ +13:37 46位 日隈 優輔 チェブロ・ラピスタ +14:25 51位 向川 尚樹 チェブロ・ラピスタ +14:25 出走:99名 完走:55名
実際にゴールまで走りきったのは55名よりもはるかに多いが、UCIの規定により、1位の選手タイムの105%以内にゴールしないと完走と認められない。
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