ツール・ド・おきなわ 2003
期日 : 11月9日(日)
会場 : 沖縄県 名護市・沖縄本島北部
カテゴリー : チャンピオン
距離 : 200km
天候 : 雨
『ツール・ド・おきなわ』チャンピオンクラスに、チェブロラピスタ チームの一員として出場。雨で多くの有力選手落車した結果、33位完走。
苦悩
仕事で外国出張があり、9月中旬は全く自転車に乗れなかった。おかげで体調は最低、いわきクリテリウムは不参加。おきなわまであと1か月半。なんとか調子を上げなくては。まずは200kmゆっくりと走ることから始める。そんな時、おきなわチャンピオンクラスのチーム参加枠があるという話が来て、あっさり出場が決まってしまった。ちょっとやそっと調子を上げたぐらいでは話にならないレースである。市民200kmに6年連続完走したが、今までとはわけが違う。BR1でもない42歳がいきなりUCI公認レースに出るなんていう話がまかり通るのか。スタートしてすぐに切れてチームとしても恥さらしになるのではないか。心配ばかりで、練習仲間にも恥ずかしくて打ち明けることすらできないでいた。
準備
10月。とにかく練習あるのみ。5日と19日の地元レースには自走で参加し、結果を出すことよりも距離を稼ぐことに専念した。その後の2週間は平日の午前に有給休暇をとって 6km x 10周の周回コースを一人でまわった。タイムの向上が何よりも自信につながった。このコースは1周あたり登り標高差が100mあり、残りの周回数を考えずに毎周回全力で登ることが登板力の向上につながったと思う。26日は180kmで登り標高差3000mの難コースを走った。11月3日は最後の調整、実業団石川BR2で9位。これで来年BR1に上がれない。こんな走りでおきなわに出ても大丈夫なのだろうか。翌日、自転車をスカイポーターで発送し、あとは7速Wレバー車での通勤練習のみ。通勤帰りは家の1km手前に、夜でも危険なくもがくことができる登り坂があり、ここを1本目100%、2本目120%でもがく。これで距離や登りの練習により蓄積した疲労をとり、脚が軽く感じられるようになった。レース前の調整としては、7年目のおきなわにして初めて満足の行く結果だった。
レース当日
- スタート いきなり50km/hとなる。去年出場したチームメイト徳安君の言う通りだ。見ると集団前方で目一杯踏んでいる奴らがいる。そのまま集団は1列棒状になり海岸線を進む。
- 10km 去年落車したポイント付近で、狭いコーナーのためスピードが落ちる。ここで初めて 37km/h まで落ちた。
- 15km 徳安君パンク。集団のペースは50km/h以上。いっしょに下がって連れ戻してあげるべきかとも思ったが、このペースでは自殺行為に等しいので、かわいそうだが見送る。まもなく本部のスプリント。集団後方ではスピードの変化は無かった。その後の本部大橋の登りも難なく通過。ペースは速いが集団の中なのでここまでほとんど脚を使っていない。
- 20km ジンベエザメのいる水族館前はだらだらと長く続く登り坂。36km/hでずっと登る。結構辛い。ワンカンポーが妙に楽そうにしている。どうにかポジションを保ったまま下りに入るが、下りも恐い。雨のためブレーキのききがすこぶる悪い。沖縄の路面は石灰質が多く、雨天時はとても滑りやすいと、監督に言われた。やがて直角コーナーの左折ポイントにさしかかると、スピードが極端に落ちる。見るとシマノと愛三の2人が道路脇で倒れている。
- 25km 今帰仁市街のクランクも超ゆっくり徐行してクリアするが、この直後にスプリントポイントへの登りが始まる。しかしここも難なくクリアした。本来ならばダンシングでガンガン登るところだが、ダンシングすると滑ってしまうのでペースは落ち着いている。しかし登りの後にはもっと恐い下りがある。下りでは集団は縦に長くなってしまい、切れないように注意が必要。下りの後平地になるが、そのままスピード57km/hで1列。登りよりも辛い。見ると前方は中切れしている。
- 30km ペースがようやく40km/h台前半に落ち着き、だいぶ楽になった。さっき見えた中切れは集団の逃げのようだ。バイクが黒板にタイム差を書いて見せてくれている。選手の一人が「前は何人?」と尋ねると、「25人」という答え。残り170kmもあるが、これだけ人数がいれば最後まで逃げられる可能性は大きい。
- 50km 第1集団との差は2分に開く。
- 60km 対向車を通すため路上にパイロンが置かれ、右側車線は通行禁止になっている。落車をさけるため集団は徐行モードの35km/h。
- 70km 第1集団とは3分差。これから追撃が始まるに違いない。普久川ダムの登りの始まりは集団中程で入った。35km/h。それほど速くない。すぐに勾配が急になる。通常ならここでダンシングに切り替えるところだが、今日はそれができない。ただ一人ダンシングを始めたラバネロの選手は、ぬれた路面でスリップして前に進まず、後退していった。それほど路面は滑りやすいのだ。所々オイルがこぼれているところもある。集団前方で落車発生。道路のほとんどがふさがってしまう。私は道路右端のガードレールに手をついてどうにかすり抜けた。これに乗じてアタックするやつはいない。シマノ狩野、野寺が無線で「真理大丈夫?」などとやりとりしている。落車に巻き込まれた有力選手を待つために、ペースは落ちてしまう。この登りでは第1集団との差をつめなければならないのに、出鼻をくじかれた格好である。おかげで頂上まで切れる心配もなくたどりついた。パンクした徳安君を除く5人のチームメンバーは全員集団に残っている。
- 85km 補給所を過ぎると長い下り。路面も滑りやすくかなり危険である。案の定、左カーブで香港の選手がコースアウトしたのか、路肩に座り込んでいる。市民レースだと、この時とばかり、登りは駄目だが下りなら、という選手が無理矢理ポジションをあげようと突っ込んでくるのだが、さすがチャンピオンレース、皆大人である。と思ったらフランスの選手が目一杯飛ばして抜いて行く。一方NIPPO別府は徐行の度が過ぎるようなので失礼して先に行かせてもらう。すると前にはシマノ狩野野寺が安全運転している。抜く理由はないのでいっしょに安全運転する。
- 90km 最北端へ向かうゆるいアップダウン。脚を使いたくないので集団後方で休んでいると、あることに気が付いた。それまではいろんなチームの選手が入り乱れていたのに、まわりを見ると出場17チーム中番号が最後の、150, 160, 170番台ばかりである。これに140番台の我がチームがこのレースの弱小チームであることは否定できない。このまま弱いものばかりまとめて切れる時が近付いているのかと思うとぞっとする。まだまだ脚は残っているのでそうはなりたくない。
- 100km 意外にきついのがこの登り。勾配はさほどないものの、だらだらと長い。まわりには私よりも呼吸が荒い人が結構いたので、少しずつ前に出て行く。福岡出身の愛三江下君も結構辛そうにしている。もっと辛そうなのが北海道のチームメイト入井さん、顔がこわばっていて、ずるずると後退していった。いくつかのカーブのあとようやく頂上にたどりついた。集団前方に移動したので安心と思って振り返ると、なんと誰もいない。入井さんを含めずいぶん切れたようだ。下りではバナナを食べてひと休み。
- 120km 市民80kmスタート地点付近は、道幅が狭いので徐行ぎみ。しかしそれを抜けると一気にスピードアップ。53km/hの高値安定。いよいよ逃げグループへの追撃が始まったようだ。優勝を狙うチームにとっては正念場。アシスト勢は捨て身で引かなければならない。すごい速さのままトンネルに突入。出口までもう少しというところで、前方で何やら音がしたと思ったら、次の瞬間前にいたほぼ全員が落車。よける場所も無く、ブレーキをかけようかと思ったときにはすでに腰で路面を滑っていた。腰を少し打ったが大丈夫そうだ。ホイールも振れていない。はずれたチェンをかけるのに手間どってしまい、自転車にまたがった時にはトンネル内にはほとんど選手の姿が見えなかった。かなりヤバい。なんとか走りはじめるが腰が痛くてなかなか加速できない。アイルランドの選手が現れたので後ろにつく。すぐにシマノの選手が来た。このあたりショックで記憶があいまいなので、間違っていてもご容赦願いたい。1人だったか2人だったもはっきり覚えていないので、とりあえずシマノ狩野寺としておこう。機関車が増えたおかげでどうにかサポートカーの隊列の最後尾に追い付くことができた。数台のサポートカーとバイクを追い抜くと、ようやく集団の最後尾。集団前方にはチームメイト3人の姿が見えた。北海道の林さん、馬場さんと、最北端で切れた入井さんが復帰している。しかしその集団の前にさらにサポートカーがいて、その前に10人ほどの集団。落車を免れた選手たちだろうか。休む間もなく、まもなく2回目のダムの登りとなる。打った腰の痛みのことは忘れることにした。
- 130km もうゆっくりしている余裕はない。落車によるタイムロスで第1集団との差は広がってしまったに違いない。上位入賞はハナから無理なので私にはあまり関係のないことかもしれないが、あまり遅れるとタイムオーバーとなりゴールまで行けても完走と認定されなくなってしまう。登りが始まるとキナン福島弟が先頭を引き始めたが、力が入り過ぎたのか、いきなり落車。道路の左半分がふさがってしまう。道路の右端にいた私は無事通過、この時前にいたBS田代がアタック、といってもダンシングはできないので急加速したわけではない。これにぴったりつけると集団との距離が広がる。まさかこのまま2人で逃げられるはずもない。BS田代も、ついてきたのがショボいオヤジなのでさぞがっかりしたに違いない。1度だけ先頭交代し、後ろを振り返ると三たび登場シマノ狩野寺。こうなると実力差は歴然としていて、私はズルズル後退。しかし追走してきたORBEA武内、カナダ、ホンコンなどと合流することができた。BSシマノ連合は本気で追撃を始め、すぐに見えなくなってしまった。武内、カナダからも私とホンコンが徐々に遅れはじめ、差が10m, 20mと離れていく。後方からさらに追走してくる選手は見えなかったので、なんとか踏んばる。前から愛三坂口が落ちてきた。完全につぶれている。武内グループとの差が開かないように、ペースを保つ。ジャンプして追い付けない距離ではなかったが、ジャンプして脚を使いきり追い付いた瞬間にまた切れたのでは元も子もない。ジャンプするにもタイミングが重要だ。ここでチームカーが後方から上がってきた。「水かゼリーはいるか?」と聞いてくるが今はいらないと答えた。でも物よりも、そこに応援が来たというだけで大いに励まされ、30m差を一気にジャンプ、武内グループに追い付いた。タイミングも丁度良く、わずかな下りがすぐに始まり、休む。しばらくしてホンコン君も合流、アメリカ人、カナダ人とともに5人の集団となった。
- 140km 5人はそれぞれ状況が違うのか、アップダウンでは脚並がそろわない。カナダ人はコースを知らないのか、下りがやけに遅い。アメリカ人はもう売り切れ間近か、登りが遅い。しかし人数が減ると平地のスピードが上がらないので、全員ちぎれないように注意して走る。
- 150km 前も後ろも誰も見えず、静かに先頭交代をくりかえしていると、突然、落車したはずの福島弟が追い付いてきた。先頭交代にも加わり、ペースアップ。いい助っ人が来た。
- 160km さっきまで元気いっぱいだった福島弟が、なんということもない登り坂で失速、遅れて見えなくなる。我々のグループのところまで一体何をしに来たんだろう。ORBEA武内君から今何kmと聞かれたので、160kmだと答えた。しばらくしてカーボショッツを分けてくれた。それを見ていたチームカーはお礼にゼリーを渡すと喜んでいた。チームカーからは他のメンバーにも水などを補給してあげた。彼等のチームカーはエースのサポートのために先に行ってしまっている。私のチームは現在私がトップを走っているので、チームカーは私のためにすぐそばを走ってくれている。後方にいるチームメイトはもうサポートを受けられなくなってしまっている。もっとも、チームカーが抜く時にはある程度まとめて補給を渡しているようだが。
- 170km 雨が激しく、道路には深い水たまりができている。ホンコン君は雨が好きなのか、がぜんスピードアップ。平良の平地を単独で45kmで引きまくる。きつくて前に出られないが、合図も出さないのでそのまま引いてもらう。やがて源河への3段坂が始まる。1つ目は準備運動程度、アメリカ人はすでに切れているが、カナダ人は快調に飛ばす。
- 175km 慶佐次補給所を通過。補給所の先には2段目の坂。それを見たカナダ人、がっくりと肩を落とすのが後ろから見ていてもはっきりとわかった。ここで力つきた様子である。残りは武内、ホンコンと私の3人。有銘まで少し下り、いよいよ本番の3段目。これ以上人数が減ると最後の平地で苦労するので、みんなで合わせて行きましょうと、心の中で祈る。しかしその希望は無惨にも打ち砕かれた。登り始めるとすぐ、ジュニア国際120kmレースの先頭2人が追い付いてきた。別レースなのだから、先に行かせればよいのだが、あろうことか、その2人に無賃乗車しているのがシマノ鈴木真理。この一番きつい坂を、日本で一番速い男といっしょに登らなければならないとは、なんということだ。あきらめムードになりじりじり後退すると、ジュニア国際の追走集団3人が到着し、最後の力比べの様相となった。ただひとり楽に登っているシマノ鈴木。私とホンコンはジュニア第2集団にやっとの思いで追いすがる。最後の力を振り絞るORBEA武内はシマノ鈴木とともに、ジュニアの先頭2人に付いて行った。最低時速13km/h。これでは市民レースよりも遅いのではないか。4人が頂上を越えたあと、約15秒遅れで我々5人も頂上を通過。
- 185km 源河への下りの途中には、わずかだが登りがある。もうボロボロに疲れていてスピードが上がらない。しかしそれでは真理グループから離されてしまう。
- 190km 源河にたどりつき、追撃開始。といっても先頭を引くのはジュニアの3人のみで、私とホンコンは無賃乗車。辛うじて視界に入るのが幸いして、真理グループを捕えることができた。真理グループからは、ジュニア国際の一人が逃げていた。ジュニア国際レースの勝敗に影響を与えるような動きは慎むべきである。真理、武内、私、ホンコンの4人は無賃乗車を決め込み、先頭には一切出ない。もうレースは実質終わった、と思ったが、何でもないわずかな登りで脚が痙攣してしまう。もうあと10kmだからと、我慢して回す。しばらく行くと橋があり、またわずかな登りになる。ここで前にいたジュニアの選手が悲鳴をあげて遅れて行く。脚が痙攣してしまったに違いない。痙攣したのを我慢して踏み倒しても命に別状ないということは、市民レースの経験から学び取ったことである。「構わず踏めー」と心の中でだけ叫んで置いて行く。
- 195km ラスト5km付近には、ちょっとした丘がある。先頭はジュニア3人が必死に引いているので、まあまあのスピードを保ったままだ。この小さな丘でホンコン君が切れるが、下りでなんとか復帰する。いよいよゴールが近付いてきた。ジュニア国際レースの審判車が近付いてきて、我々はジュニアから離れるように指示される。するとシマノ鈴木真理はジュニアに無賃乗車するのをやめて、10mほど車間距離をあける。「オレに任せろ」と思ったかどうかはわからないが、そのまま一人で風よけになってくれて、武内、私、ホンコンの隊列はそのまま、ジュニア国際レースを観戦することになる。
- ゴール ジュニア国際レースの2位争いのスプリントを間近で観戦しながら、隊列をくずさず、スプリントなしでゴールした。
1位 岡崎和也 日本鋪道 4:54:45 2位 Guillem Munos ORBEAエチェオンド +00:12 3位 Mark McCormack U.S.A.ナショナルチーム +00:12 4位 真鍋和幸 ミヤタ・スバル +00:12 5位 阿部良之 シマノレーシング +01:09 6位 WONG Kam Po 香港 +01:09 31位 鈴木真理 シマノレーシング +14:21 32位 武内誠 ORBEAエチェオンド +14:21 33位 宗政昭弘 チェブロ・ラピスタ +14:21 34位 LAU King Nin 香港 +14:21 出走:95名 完走:34名
実際にゴールまで走りきったのは34名よりもはるかに多いが、UCIの規定により、1位の選手タイムの105%以内にゴールしないと完走と認められない。
全リザルト
福島晋一選手の レポート
中川康二郎選手のレポート
チーム別完走者数
ブリヂストン・アンカー 4 CCDキナンバイクシステム 4 日本鋪道 3 香港 3 アイルランド 3 アメリカ 3 シマノレーシング 3 ミヤタ・スバル 3 カナダ 2 ORBEAエチェオンド 2 La Pomme Marseille 1 スミタラバネロパールイズミ 1 愛三工業 1 チェブロ・ラピスタ 1 台湾 0 日本大学 0 立命館大学 0 沖縄選抜 0