富山地鉄射水線 1924〜1980
1980.2.23撮影

新港建設で分断。乗客数半減。

射水線は1922年越中電気鉄道として富山北口=四方間がまず開通。富山湾沿岸の人や海産物、米などの輸送が目的であった。
1926年富山北口=聯隊前(後の新富山)、四方=打出浜(後の打出)が開通。これから後越の潟、庄川口と延伸が行われ1933年12月25日新伏木(現・万葉線六渡寺)まで19.9kmが全通。1943年戦時統合によって富山地方鉄道射水線となった。1951年高岡軌道線(現・万葉線)の米島口=新湊間が開業と同時に高岡=射水線=富山市内線・西町間の直通運転が開始され、1961年まで続いた。
1966年富山新港建設のため射水線は分断され堀岡=越の潟間は廃止。高岡側の越の潟=新湊間は加越能鉄道に譲渡、分断による新港東口=越の潟間は県営の渡船で結んだが乗り換えが不便なため、射水線の乗客は6000人/km日から3000人/km日に半減。このため再び市内線に乗り入れ富山駅前まで直通運転をしたが、乗客回復ならず、結局1980年3月31日で廃止になった。

写真の上で指のマークが出ると拡大します。


新富山発着の電車は右のホームに。市内線直通の電車は左の高いホームに。右の立派なアーチ屋根に比べ、ホームには小さい待合室があるだけ。
市内線との連絡線路。いま市内線から射水線に入ってきた。
市内線内は1両の運転だが、射水線では2〜4両編成のためここ新富山で連結作業をする。
本江駅に進入する5010型。射水線では全車両5010型で運転。
鯰鉱泉前駅。駅前には鉱泉を使った旅館が一軒あった。
本江=練合間を行く。
四方駅
この駅で上下列車が交換。車庫もあり除雪車や電車が休んでいる。
ボ2型。1924年大阪鉄工所製造。開業時の車輌。いまでは除雪作業に。
四方車庫。5010型車輌が一杯。
5010型の除雪車。
新港東口へ向かう車内。結構乗客は多い。
電車から降りた乗客は足早にフェリーに向かう。
新港東口駅。
連絡している渡船。
フェリーを下りると加越能鉄道の電車(現・万葉線)が待っている。こちらは路面電車スタイル。越の潟駅。
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